我が名は自由

投稿者: | 2005年4月13日

たろ父は新しい職場で1週間が過ぎました。先週1週間の合計残業時間約2時間。いいのか?いいじゃん。太郎と過ごす時間が長くなったので、太郎の口から脈絡なく流れ出る言葉の羅列がかなり理解できるようになりました。
このところ太郎のお気に入りビデオ&DVDリストのかなり上位に、ディズニーの「アラジン」があります。古典に入る有名なお話なのでディズニーの中でも色んなバージョンがあるとは思いますが、家にあるのは恐らく最新の、と言っても10年ほど前のものです。
オリジナルのアラビアン・ナイトでのストーリーがどういう物か詳しくは知りませんが、このバージョンではランプの魔神はジーニーという名のひょうきん者で、アラジンが3つの願い事の最後の1つで彼を自由にし、魔法のランプから解放してやります。それで、「俺は自由になりたいんだ」とか「君を自由にしてあげるよ」とか、願い叶って「俺は自由だ!」等の台詞が随所に登場します。
太郎は例によって全場面を丸暗記するくらい何度も見ていて、「ほら、みてみ。ジーニー、じゆうになるで。ほらなった。じゆうや。じゆうになった。よかったねー」等と頼みもしないのに解説してくれます。ジーニーが自由にしてもらうのは物語の最後の最後なのでいままで気付かなかったのですが、太郎の「自由」の解釈にはちょっとした誤解がありました。
父がジーニーについて何か聞いたところ、「ん?あれ、ジーニーとちがうで。じゆうや」そう、だから自由になったジーニーが…「ちがうちがう。だっておててのやつ(手枷のようなものが付いていた)、ぱーんってとれたやろ。それで、おれはじゆうだーってゆったもん」
つまり、「自由」を形容詞ではなく、固有名詞と思っていたようです。そう言われてみると、それぞれの台詞は一応辻褄が合うのです。ちょっと感心しました。感心したので、てか、面白いのでそのまま訂正してません。

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