私が始めてコンピューターを使ったのは、大学を中退…じゃなくて休学してデンマークに住んでいた時である。当時既にWindows95が発売されていたが、私が使ったのはOS/2というOSだった。どこが開発したのか知らないが、IBMだかMicrosoftだかが売っていたと思う。マルチウィンドウはあったような気がするがマルチタスクだったかどうかは覚えていない。というか、そんな使い方はしていなかった。日本語環境はなく、OSのセットアップ時に英語かデンマーク語のどちらかを選べるようになっていた。私のマシンは英語環境だったが、キーボード配置は実際のハードウェアに合わせてデンマーク語にしてあった。初めてコンピューターの設定を弄ったのはこのキーボード周りだったと思う。
ワープロは使ったことがあったし、高校生の頃実家に会った古いタイプライターを愛用していたのでQWERTY配列には馴染んでいたし、タッチタイピングも普通にできた。ただ、記号なんかの配置までは覚えていなかったし、キートップの印字と出力されるものが違うというのはやはり使いにくい。また、英語配列のキーボードでは英語にはないアルファベットやアクセント記号、ドイツ語のウムラウトなんかは普通には出力できない。住所や人名なんかの固有名詞でこれらの文字を使う機会は結構多かったのだ。デンマーク語配列といっても、英語にある26文字の配列は同じで、他の文字は左手小指の担当範囲に割振られている。ヨーロッパ系言語のキーボードはだいたいそうなっている。ドイツ語はYとZの位置が入れ替わっていたりするけど、その程度である。タイプライターの歴史はよく知らないが、英語圏(多分イギリス)の影響が強いのだろう。
電子メールを使い出したのもその頃である。これは衝撃的だった。それまで、日本からアメリカやヨーロッパと連絡を取ろうと思ったら手紙か電話、Fax位しかなく、国際電話は今とは比べ物にならないほど高かったし、郵便は航空便でも1週間近くかかったものだ。それが、日本の友達に送ったメールにその日のうちに返事が来たりするのだ。自分専用のアカウントと常時接続の環境があれば、時差さえ何とかすればほぼリアルタイムのやり取りができただろう。当時の私にとっては、次の日に返事を受け取れるだけで十分驚異的だった。当時の環境は、数人で1つのアカウントを共有、メール専用のマシンでプロバイダにダイヤルアップして、端末プログラムでサーバーにログオンした状態でメールの読み書きをするというものだった。オフラインでメールを読んだり書いたりすることはできず、ダイヤルアップ中は従量制で課金されていたため、メールチェックをしたら新着メールが誰に宛てたものか調べて(読んで)その人を呼びに行き、返事を書くにしても順番待ちや課金を気にしながら慌しく書く、といった随分ローテクな運用をしていた。今考えたらテキストのコピーペースト位はできたと思うが、当時は誰も気付かなかった。端末プログラムを通して使うメーラーは当然完全なCUIで、MIMEエンコードって何ですかの世界でファイルの添付どころか7ビットASCII以外の文字コードを使うことすらできなかった。英語圏以外のヨーロッパ言語圏では、英語にないアルファベットも使えるように拡張した8ビットのコード系を使うことが多いのだ。ちなみにアジア圏ではそんな数では到底足りないので2バイト、つまり16ビットの文字コードを使うのだが、この話は長くなりそうなのでこの辺で置いておく。要は、デンマーク語だろうがフランス語だろうがASCII文字だけで書いてね、というプログラムだったのだ。私にとっては、どうせ日本語が使えないのならどうでも良かった。むしろ、コマンドなんかのインターフェースが全部英語なので助かった。デンマーク語読めないし。
そんな訳で、使い始めた時はそれこそ何の予備知識もなかった上に言葉のハンディキャップまであったのだが、元々性に合っていたのか、色々弄っているうちにチームの中では比較的使える方になっていた。ある時、OSのバージョンアップをすることになり、30台ほどあるマシン全ての作業を私がやることになった。今ではあまりないと思うが、当時はまだハードウェアも値段が高く、我々が使っていたデスクトップマシンにはCD-ROMドライブが付いていなかった。ネットワークはあってプリンタの共有なんかは出来ていたが、ファイル共有はできないのかやり方を知らないのか、とにかく無かった。そのため、手順としてはこんな感じになる。まず筐体を開ける。どこかから借りてきたIDE接続のCD-ROMドライブを繋ぐ。メディアを入れ、マシンをブート。ブートシーケンスも弄ったかも知れない。デンマーク語のインストーラーに従ってOSのインストール。ほぼデフォルトのままなので特に問題なし。ファイルコピーが終わる頃次のマシンの筐体を開けてスタンバイ。コピーが終わり、リブートする前にCD-ROMドライブを外して次のマシンに付ける。今思い出したが、ブートシーケンスはBIOSじゃ無くてジャンパで変えていた。セットアップの残りのプロセスをこなしつつ次のマシンのインストールを開始。確か、丸一日では終わらなかったと思う。役に立ったかどうかは分からないが、筐体を開けて中を弄ることに対する抵抗はなくなった。