このコーナーに、以前書いたものの続編だったりする。
海外にいる間にすっかりコンピューターに馴染んだ私は、帰国したらすぐに自分のマシンを購入するつもりだった。少し前からアメリカでは$1000PCなどというものが売られており、国内でもSOTECという会社が10万円程度でPC/AT互換機をWeb通販で販売していた。当時は自作用のパーツもそこそこ高く、その程度の予算でPCを手に入れるには他には殆んど選択肢もなく、さしたる拘りもなかった私はSOTECのMicro PC Stationとかいう製品を購入した。CPUはCeleronの330MHz、メモリは32MBだったと思う。Second Editionになる前のWindows98が付属していた。プリインストールだったかも知れないが、ちゃんとOSのインストールメディアが付いていた。HDDの容量は2GBくらいだったか。まだ「ギガ」という単位に新鮮な響きがあった頃である。まだ禄に知らないくせにLinuxに感化されていた私が最初にやったのは、HDDをフォーマットし直してWin98とLinux(Slackware)のデュアルブート環境を作ることだった。
Windows95からMeに至る9x系と呼ばれるOSは不安定で有名だが、それはもう、使ったことのある方、現在も使っておられる方はよくご存知の通り酷いもので、アプリケーションやらOSやらが「落ちる」のは日常茶飯事なのだ。加えて、こちとら初心者である。色々無茶もするし、あれこれ試したりもするものだから、OSの再インストールも何十回やったか分からない。ちなみに、比較的安定していると言われるWindowsNTやLinuxでも何度となくカーネルパニックをやらかした。現在職場ではWindows2000とWindowsXPを使っているが、当時を思えばWindowsも随分実用的になったと思う。
この初代マシン、中身はソフトもハードも幾度となく入れ替わっているものの筐体とマザーボード、電源、CPUは今年の春まで現役だった。ちなみに、CPUは今なお妻の実家にある寄せ集めマシンで活躍中である。使用したOSはWindows系だけで98、98SE、NTServer、NTWorkstation、2000を試した。NTWorkstationが軽さと安定性のバランスでは一番だったけど、USBが使えないというのが次第に不便になってきた。2000はUSBも使えて安定性もまずまずだったけど重かった。メモリを128MB積んでようやく実用レベルになり、以後はずっと2000で使っていた。Linuxの方もSlackware、Vine、Redhat、Plamo、Debian等色々試したが、別に常時稼働のLinuxサーバーを置くようになってからはこのマシンにはWindowsだけで、Linuxのアプリケーションを使う時はTelnetや、当時は無料の物もあったPC用Xサーバー等を通してサーバーマシンを使うというやり方が定着した。
今の会社に就職してからは業務ではWindowsオンリーなのでWindowsの使い方もそれなりに覚え、WordやExcelなんかも人並みに使いこなせるようになったのだが、学生の頃はどちらかと言えばLinuxがメインだった。今となっては使い方さえ禄に覚えてないが、xplotとかでグラフを描き、レポートはTeXで、Excelで扱えない10万行以上のデータ処理はgrep、sed、awkなんかを駆使していた。私のいた工学部ではLinuxが支配的な研究室も少なからずあったのだが、私自身の研究室はほぼ完全にWindowsな世界だった。にもかかわらず、卒業論文はやはりWordではなくTeXを使って書いた。私の研究を引き継いだ人(いるのかな?)は少しばかり余計に苦労したかもしれない。ま、頑なにLinuxオタクを貫いたお陰でそれなりにメリットもあったりしたことは以前も書いた通りである。
大学の研究室に配属されてから、備品リストから消えている古い部品などをゲットできるチャンスが増えた。パーツだけじゃなく、古いノートパソコン等も廃棄待ちでゴロゴロしていた。尤も、当時既に「古い」ものなので、自分の持っているものをリプレースできるようなものはない。ノートパソコンと言えば聞こえもいいが、NECの98ノート(OSはMSDos)や今は亡きdigital(DEC→Compaq→HPと買収された)のマシンにWindows3.1が載ったような、およそ(Windowsの)実用には耐えないマシンである。それでも貰ってきたのは、太郎のオモチャにはなるかもしれないというのと、DosやLinuxでテキスト書きやルーター用途なら使えると思ったからである。事実、digitalのノートは家の接続環境がADSLの常時接続になって以来、壊れた初代サーバーマシンに代わって我家のインターネットアクセスルーターとして約3年間の長期に渡って働き続けたのである。
このマシンのスペックを記しておくと、大容量(当時としては)500MB HDD、メモリも大容量(当時としては)の4MBを搭載、CPUはx486系の、動作クロックが80MHzくらいと高速(以下略)なもので、無理をすればWindows95も動くスペックだった。こいつにLinuxを入れて動かしていたのだが、Linuxといえど当時最新のコンパイル済みパッケージではメモリが足りず、必要最小限のサービスだけに絞り込んでなんとか運用していた。
ノートPCをサーバーとして利用するメリットは、静音性と省電力に加え、バッテリー内蔵という点である。常時稼働しているサーバーマシンは、本来なら停電対策としてUPSが必要となる。ノートPCなら数分間の停電であれば内蔵のバッテリーで駆動できるし、電源切替の際の瞬停も発生しない。ところが、我家のサーバーマシンに内蔵されていた、数年間完全放電状態で放置されていたバッテリーはやはり完全に死んでいた。一瞬たりとも電源供給が途絶えるやいなや、あっさりと落ちてしまうのだ。現代、日本の都市部において停電など滅多なことでは起こらない。しかし、電流量の少ない古い集合住宅で今時の家電製品をそれなりに使っていると、ブレーカーが落ちることは結構あるのである。東京で住んでいた社宅は、今ではもう取り壊されてしまったのだが築30年以上という代物で、入居の際にアンペア数を上げるべく電力契約の変更を申し出たのだが工事ができないとかで断られたという経緯がある。更に、パソコンを置いてある部屋と台所の電源が同系統で、炊飯器や湯沸しポットのスイッチが入った途端にブレーカーが落ちることがよくあった。そうするとサーバーも落ちる。パソコンというものは正常なシャットダウンをせずに電源を落としたりすれば次回の起動時に不具合が起こったりするものだが、我家の健気なdigital君は何度となく繰り返した突然の電源断の後も、電源を入れるだけで毎回きちんと起動してくれた。一旦正常に稼働し始めてからはメンテナンスのための再起動など一度もしたことがないので、実に3年間、ブレーカーによる電源断以外では一度も落ちることなく稼働し続けたことになる。uptimeで確認した最長稼働時間は10ヶ月を超えていた。負荷が低かったとはいえ、Windowsのサーバーではなかなか難しい記録である。
現在、引退したdigitalに代わって我家のサーバーを勤めているのは東芝の、やはりノートパソコンである。ディスプレイとCD-ROMドライブが壊れて職場で廃棄処分になったものを貰ってきた。当然、OSはLinuxである。こちらはバッテリーがまだ元気なのだが、今住んでいる公団住宅は電流量もそれなりに余裕があり、台所とも別系統になっているので今のところ活躍の機会はない。プロバイダを乗り換えてからルーティングは別の機械がやってくれるようになったので、今のところ大した仕事をしていない。今後はファイルサーバーや各種バックアップサーバーとして活用したい。デスクトップの方も、職場でリースアップした機械を貰えたので初代のSOTECは遂に引退した。メモリやHDD等、そのまま2代目に移植されたパーツも幾つかある。自宅に仕事を持ち帰ることはまずないので、こちらはWindows環境に決別してLinuxだけにした。Windowsの方が何をするにも楽なのだが、その、何だ、正規ライセンスを持っていないのだ。自宅でやることは基本的には「遊び」なので、Linuxの勉強も兼ねて何とかフリーウェアだけでやっていこうと思っている。
今回は我家のPC編ってとこか。ま、自分のための備忘録みたいな物なので、興味のない人は無視してね。って最後に書くなよ。