スキー(昔の話)

投稿者: | 2006年1月26日

また飽きもせずに昔話だったりする。もうオッサンなので勘弁してやって欲しい。それに、スキーの話をしようとすると必然的に昔話になってしまう。何せ、最後にスキーをしたのはもう8年も前だ。自分ではまだ結構滑れるつもりでいるが、もしかしたら全然滑れなくなっているかも知れない。今シーズンもどうやらスキーには行けなさそうだ。一緒にスキーに行くのを楽しみにしてくれていた方々には申し訳ない。私も残念だ。

私が始めてスキーをしたのは小学校3年生くらいだったか。まだ、木製のスキー板と革製の靴が主流だった…かどうかは知らないが、子供用安物レンタル品ではそうだったと思う。中学生くらいまでは毎年冬と春の休みに必ずスキーに行っていた。中学生の頃はもう板はカーボンファイバーで、靴もプラスチックになっていた。手袋なんかも、何で出来ているのか知らないが昔の革のヤツに比べるとあったかくて濡れにくくなったと思う。もしかしたら、私があまりコケたり無意味に雪を触ったりしなくなったのでそう感じるだけかも知れない。始めた頃は、ぎゅっと握ると水が滴るほど濡れた革グローブでは手がかじかみ、革ブーツの細いバックルを留めたり、流れ止めのテープを結ぶのが辛かった。念のために解説しておくと、今(というか、8年前)は「流れ止め」と言えばビンディングに付いている、ブーツで踏むことで跳ね上がる抵抗式のものが一般的だが、そんなものがなかった頃は単にテープを脚に結び付けていたのだ。こいつの欠点は板を履いていない状態(テープを結んでいない状態)で流れ出すと止まらないことだが、リフト上で板が外れても落ちない、新雪の中で派手に転倒しても板がなくならないというメリットもあり、今でも抵抗式と併用する場合もあるらしい。ちなみに、ビンディングも今みたいな踏み込んだら「カチッ」とロックされるタイプが出る前は、しゃがんで手でロックしていたのだ。

小学生のうちは、大阪のYMCAがやっている子供だけで参加するスキーツアーに毎回参加していた。5泊6日くらいで、行先は信州方面だった。スクールとセットになっていて、クラス別にコーチについて基礎からしっかり習った。世界の山の名前を冠したワッペンによる技能検定のようなものがあり、最終日のワッペンテストで合格すると上のクラスのワッペンが貰えた。確か、10段階で一番下が富士山、最高がエベレストだった。スキージャケット(当時は「ヤッケ」っていってたな)の腕の部分に、誇らしげにワッペンを縫い付けていたものである。そう言えば、ワッペンにしろヤッケにしろ山岳に関わる外来語はドイツ語が多いのだが、最近はなんかほとんど英語に取って代わられている気がする。どっちでもいいけど。
そんな訳で、小学生時代のスキーは遊びより修練の要素が強く、それがまた楽しかった。いつかエベレストワッペンを貰える日を夢見て、去年は滑れなかったスロープを克服する喜びを励みに頑張っていた。

中学生になると、学校(私立の男子校)が黒姫高原に山荘を持っていたため、やはりほぼ毎年信州でスキーをしていた。学校行事としてのスキーだったので遊びの要素は少なかったが、体育の先生とボランティアの卒業生(大学生)がコーチをしていたのでそれほどストイックではなかった。この頃になると色気が出てきて、格好良く滑ることに腐心するようになる。ところが、いくら格好をつけたところで悲しいかな、クラスメイトは男ばかりである。ゲレンデ(これもドイツ語)には同じような年頃の女の子ばかりのグループもいて、いや、男もいたけど目に入っていなかっただけかもしれないが、とにかく彼女たちの前ではコーチの指示を無視して精一杯のアピールをするのだ。止まって話し掛ける勇気なんてない。「あのピンクの帽子の子、絶対オレの方見てた。かわいい子だったな」とか、仲間内でたわいのない主張をするだけである。第一、帽子にゴーグルで本当は顔なんて全然見えてないのだ。ま、ウブなガキだったわけだ。

気が向いたら続く…かもしれない

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