今日、2月22日は島根県が条例で定めた「竹島の日」だそうな。竹島というのは、隠岐島の北西約157kmの位置にある無人島で、韓国の鬱陵島(うつりょうとう)からは約92Kmである。韓国では獨島と呼ばれるこの島の帰属を巡って日韓両国が争っており、現在は韓国が沿岸警備隊を配置して日本の漁船等を排除している。島自体は不毛な無人島なのだが周辺海域は豊富な漁場で、それ以上に領土問題というナショナリズムを喚起しやすい問題のため双方とも感情論に走りがちで、1954年以来の争いは全く解決に向かっていない。
実を言うと、私はこれまでこの問題にほとんど無関心だった。何度かメディアで紹介されているのを目にしたことはあったが、日本のメディアの論調は当然ながら日本側の主張を擁護し、韓国側の主張については不条理と切り捨てるものがほとんどで、漠然とその通りなんだろうと感じていた。ナショナリズムというものは心地よいものなので、頭の片隅で一方からの情報だけで判断するのは危険、と意識はしつつも「奴ら(この場合韓国)の言う事は大体いつも無茶苦茶だ。この件についてもどうせ言いがかりだろう。ここはきっちり筋を通すべきだ」という意見に惹きつけられるのは避けがたい。今回たまたま「竹島の日」の報道に接して、この機会に自分の中で納得できる判断をするために少し勉強してみることにした。
やはり、知ることは大切である。結果的に自分の中で最終結論を出せるだけの情報は集まらなかったが、少なくとも何が原因で揉めているのかは大体理解できた。通り一遍の報道や一方的な感情論ではそれが伝わってこない。私とて多少ひねくれてはいるかもしれないが普通の日本人なので、外交問題で何らかの攻撃を受けるとつい感情的に相手国に敵意を抱いてしまう。だが、日本を含めどこの国にも馬鹿はいるけど、馬鹿しかいない国なんてないのだ。無茶苦茶な言いがかりにしか見えない主張でも、冷静に分析すればそれなりの合理的理由はあるものである。
今回苦労したのは、日韓双方の主張を中立的な立場で分析した情報の少なさである。日本語で書かれた情報はほぼ全て日本の主張を正としており、韓国側の主張を紹介したものも圧倒的に情報量が不足していた。韓国語の情報は全く逆なのだろうが、残念ながら韓国語は読めない。英語で書かれたものも、アメリカなど第三国のソースであってもある程度詳しく分析しているものはどちらか一方の立場を擁護しており、私が見た限りでは韓国側に立っているものが多かった。
全てを改めて紹介するのは控えるが、私が感じた問題の所在と解決の糸口を記しておこうと思う。
結論から言えば、議論のすれ違いは不明確な「史実」に対する見解の相違に起因しており、問題解決には双方及び第三国の専門家による共同研究が欠かせない。研究対象として明らかにすべきは過去の事実であり、純粋に科学的な検証によって政治的な恣意や思惑を排した共通認識を得ることは十分に可能である。双方が根拠としている史実の認識が一致しない限り、国際司法裁判所に判断を仰いだところで結論の出しようがない。
話をややこしくしているのは、この海域に複数の島があり、それぞれの呼び名が時代とともに変遷しているということである。日本でも、江戸時代は鬱陵島を竹島と呼び、現在の竹島は松島と呼ばれていた。日本、朝鮮、中国の古い文献では更に色々な島の名前が登場する。混乱に拍車をかけるのがヨーロッパ諸国による誤解である。ヨーロッパ人がこの海域を最初に測量したのは18世紀後半だが、フランスとイギリスの船がそれぞれ鬱陵島を「発見」した際、緯度、経度を誤っていたため別の島と認識し、以後のヨーロッパ製の地図には鬱陵島が2つ描かれることとなる。19世紀になると測量技術が進歩し、2つの島は実は同じであることが判明するが地図には相変わらず2つの島が描かれ、一方に現存せず、という注釈が書かれたりした。この海域の正確な地図ができるのは20世紀に入ってからである。
日本では、1724年に鳥取藩が作成した「竹島松島之図」には現在の竹島、鬱陵島、隠岐島の位置関係や形、大きさがほぼ正確に描かれているが、19世紀に西洋の地図を逆輸入してからかえって混乱することとなる。島の数や形の相違がある程度収まった後も島名の混乱は続き、各年代の地図に描かれた島がそれぞれどう対応しているのかについての統一した見解は存在しない。現在問題となっている竹島についても、ヨーロッパ製の地図に現れる名前としては少なくとも3つの候補がある。これらの名前は19世紀の日本の公式文書にも登場するので、この解釈によって当時日本政府が竹島をどう認識していたかの解釈も変わってくる。
このように、近代に入ってからも日本、朝鮮、そしてヨーロッパ諸国においてこの海域の島の名前は一定しておらず、当事国の公式文書においてすらそれぞれどの島に言及したものかの見解が統一されていない。19世紀半ば以降については測量技術も十分であり、言及した当人はどの島のことを言っているのかちゃんと認識している。これらが実際にどの島であるのかを調べるのは、専門チームを作ればそんなに難しくないはずである。不明確な部分をお互いに都合の良い推測で補って感情的な水掛け論をいつまで続けても議論は平行線である。日韓両政府は、双方に何の利益ももたらさないナショナリズムの対立を避けるべく、協力して科学的な事実の確認のために努力すべきである。
って、社説風に書いたところで誰も読んでないわけだが。それにしても、まぁ、あれだ。マスコミももうちょっとまともに報道して欲しいもんだ。