死ぬということ

投稿者: | 2006年4月11日

中学、高校はカトリック系の私学に行っていた。いつ頃の時期か覚えてないけど、倫理の授業でバチカン帰りの神父さんがDeath Educationというのをやっていた。祖母が亡くなったのは大学に入ってからだから、その頃はまだ身近な人の死は経験しておらず、恐らく「死」についてある程度真剣に考えた最初の機会だったと思う。肝心の授業の中身はあまり覚えてないけど、どちらかといえば退屈なものが多い倫理の授業の中で、珍しく真剣に色々考えさせられたことは覚えている。潰瘍だか何かで胃の全摘手術を受けていたイシカワ先生というその神父さんの名前を、僕らはふざけて胃死川と書いたりしていた。先生は多分知っていたと思うけど、何も言わなかった。担当している授業のイメージからかどことなく人間離れした、実体が透き通ったようなとこがあったけど、瞳の奥には深い何かを秘めていた不思議な人だった。今もお元気だろうか。

大人になってから、というのはつまり大学に入ってからのことだが、身近な人の死を何度か経験してきた。祖父母が3人亡くなった。応援団の後輩が交通事故で死んだ時は遠方の家族が到着するまで傷跡も生々しい遺体に付き添った。阪神淡路大震災では何度か泊めてもらった友達の下宿が倒壊し、みんなで探し回った本人は3日後に遺体で発見された。彼は神戸大学の応援団だ。こうして見ると周りで早死にしているのは応援団関係者ばかりで、現役中に死んだのはこの2人だけだが卒業後に先輩が2人と後輩が1人、いずれも20代から30代初めで死んでいる。この他には、アフリカで一緒に仕事をしていたモザンビーク人のマネージャーが交通事故で亡くなっている。

祖父母はいずれも90を超え、孫にも恵まれてまずは大往生。早死に組は逆に1人が新婚の奥さんがいた以外全員独身で、既婚者も子供はいなかった。前途ある若い息子を失った親御さんの無念は計り知れないが、残された家族が生活に困るということはなかった。自分が家族を持っている今、やはりまず考えるのは残された家族の生活だ。自分が死んでも、妻が死んでも、残った方は大変だ。正直なところ、親に頼らず1人で太郎を育てていく自信はない。実際のところ、死別じゃなくても片親で立派に仕事と育児を両立している人は周りにも何人もいるのだが、自分に彼らのような根性と能力があるかというと甚だ自信がない。

先日、妻の友達が亡くなった。離婚した後、誰にも頼らずに男の子2人を育てていた。離婚した時、下の子はまだ1歳だったという。両親とも健在だったが安易に頼るのを潔しとせず、自分でアパートを借りて遣り繰りしてきた。親にも友達にも決して辛い表情は見せず、泣き言一つ言わずに働き続けて10年間。昨年、自分名義で家を建てて両親と一緒に暮らし始め、子供たちも大きくなってようやくほっと一息ついたところだった。知らない間に癌に冒され、手術した時にはもう手の施しようがなかったらしい。病に倒れてからも気丈に振る舞い、家にいる間は寝込むこともなかったらしい。最期は穏やかに、眠るように逝ったとのことで、弔問で拝見した顔は本当に穏やかな表情をしていた。

話を聞いた時、最初に考えたのはやはり子供たちのことだ。もう大きいとは言え、まだ独り立ちできる年齢ではない。ただ1人の親を失ってこれからどうするのだろうか。聞けは下の子がこの春から中学生、お兄ちゃんは中学3年生とのこと。家を建ててからは祖父母と一緒に暮らしていて、母親が入院してからは日常の世話も祖父母がしていたということで、いきなり生活パターンが大きく変わることはないらしい。まずは安心。子供たち自身ある程度覚悟ができていたのか、ちゃんと事態を受け入れ、自分たちなりに消化しているようだった。

尻切れトンボだけど、上手くまとめられないのでとりあえずこれでおいておく。

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