昨日、2007年8月2日は関西国際空港関係者にとって記念すべき日でした。第2滑走路のオープンです。たろ父はここ5年ほど関空の二期事業に色んな形で関わっていて、現在も空港島内で二期空港島造成工事関連の仕事をしているので感慨もひとしおです。
今回の滑走路オープンはあくまでも「限定供用」で、供用されるのは滑走路と誘導路など、必要最小限の施設のみです。面積にすると限定供用エリアは二期空港島全体の半分もありません。たろ父の仕事は空港施設なんかを整備する前段階の、土地を造成するところがメインなので既に完成してしまっている限定供用エリアについては現在は仕事ではほとんど関与していません。とは言え、空港設備のメインである滑走路のオープンは工事関係者にとっても大きなイベントです。たろ父の職場も数日前からお祭り気分で、前日の夜は前夜祭と称して飲んでいた人も多かったようです。早朝に到着する着陸1番機を迎えるために泊まり込む人もいました。
去年の夏、用地造成工事のイベントに家族で参加した時、滑走路脇に設置した櫓に上って舗装工事がほぼ終わった滑走路を見ながら太郎に色々説明していました。その時太郎が大きな声で「すごーい!おとうさん、これつくったん?」と言ってたろ父が工事関係者であることをまわり中にバラして、気恥ずかしくも嬉しく感じたのを覚えています。その時も太郎に言ったのですが、たろ父が実際に造ったのはその下、現在の舗装面から3~8m程度深い部分です。比較的華やかさのある建築とは違い、一般に土木技術者が造るものは完成してしまうと人目に触れることはあまりありません。世間では業界に対するイメージも非常に悪く、ポジティブに評価される機会が少ないためたとえよく分かっていない5歳児(当時)であっても家族のこうした一言はとても嬉しいものです。
今の職場はほとんどデスクワークですが、施工を担当していた頃は毎日現場に出て、今や地中深く埋まっている地盤や各種構造物を来る日も来る日も歩いて回っていました。たろ父が担当していたのは今回供用されたエリアの中で南側約1/3(の下)に当たります。今の仕事では例えば滑走路の沈下傾向を調べたりするときは北端から南端まで同じように扱うのですが、やはり南側の、かつて自分が担当した部分は特に思い入れがあります。
昨日の朝、出勤する電車で空港島に続く連絡橋を渡っている時に風向きをチェックすると、北東の風でした。飛行機は離陸も着陸も基本的に向かい風で行います。ということは、着陸は南からのアプローチ、離陸は滑走路南端から北向きです。着陸機のタッチダウンポイント、離陸機の滑走開始点はともに「自分のエリア」です。他の人にとっては全くどうでもいいことでしょうが、新しい滑走路に降りてくる最初の飛行機がまさに接地するのが自分が苦労して造成した地盤(が支えている舗装)の上というのはなかなかに感慨深いものです。
たろ父の職場は2期島側に窓があって自席から工事現場が見えるのですが、昨日からはその向こうに着陸する飛行機が見えます。空港内で働いている割には今まではあまり飛行機を目にすることがなかったので、ふと窓の外を見ると飛行機が見えるというのは気分がいいものです。職場の人達も、「何か、飛行場で働いてるって気分だよな」とか言っています。いままでどこで働いとってん。
ところで、旅客便の離陸一番機となるANAの中国・抗州行きを見送るために見学櫓にいた時、飛行機そっちのけで中継に来ているテレビ局の女性キャスターの写真を撮りまくってたオッサン(同僚・複数)、撮るもんちがうやろ。あと、工事現場エリアにある見学櫓にタクシーで乗り付け、同僚にカメラを渡してパンダ柄に塗装した飛行機と一緒に写真を撮ってくれと頼みつつおもむろに鞄から取り出したパンダ耳の被り物で写真に収まった謎のお姉さん、あなたは何者ですか。迷いもせずにまっすぐ櫓まで乗り付けてたけど後からガードマンに聞いたら無許可侵入って言ってたけど。