もうあと1週間もしないうちにヨーロッパ旅行である。まだ宿や移動の手配が完全には終わってないけど、イザとなれば現地に着いてからでもどうにかなるだろう。今回は、たろ父若かりしころのヨーロッパでの日々について回想してみよう。とは言っても何せ10年も前のことなので、断片的にしか覚えていない。思い出せる範囲でつらつらと書いてみたい。
まずはデンマーク。たろ父が海外で1番長く住んでいたのがこの国である。首都のコペンハーゲンは英語ではCopenhagenだがデンマーク語ではKøbenhavnと綴り、略すときはKBH(英語のCPHに相当)と書く。発音はクーベンハウンに近い。海に面した町でハーゲンとかハーグとかハウンとかの付く名前はよくあるが、大抵は港の意味だそうだ。たろ父が住んでいたのはコペンハーゲンから80km程南で、何もない田舎町である。鉄道駅のある町からはいずれも10km以上離れていて、車がないと非常に不便だった。だからコペンハーゲンにもそんなに何度も行っていないけど、若い人達と週末に遊びに行ったりすると土曜日の夜なんかは朝までバスが動いていて人もいっぱいで、お上りさん的カルチャーショックを受けたりもしたものだ。ヨーロッパはどこでもそうだけど国の首都とは言っても中央駅から15分も電車に揺られるともう郊外で、閑静な住宅街や大きな公園が拡がっていたりする。市内中心部は観光客も多くいつも賑わっている。天気のいい夏の日には、水路に面したニューハウンのオープンテラスは昼間っから酔っぱらった陽気なスウェーデン人で埋め尽くされる。ストロイエ通りはそこかしこに大道芸人がいたりして何も買わなくてもそれなりに楽しめる。たろ父は貧乏だったのであまり買い物はしなかったけど、たまに行くコペンハーゲンでは衣類とかちょっとした小物なんかをよく買った。あとは書籍。英語で書かれたガイドブックとか辞書も、田舎の町ではほとんど手に入らなかった。
コペンハーゲンから、狭い海峡を挟んで肉眼で望める対岸はもうスウェーデンだ。フェリーが頻繁に往来していて、所要時間は20分程度である。税制の違いで酒類はスウェーデンよりデンマークの方が安いので、対岸に住んでいるスウェーデン人の中には毎週のように買い出しに来る人もいる。今は橋もできているので通勤通学も十分可能だろう。スウェーデン南部のスクローナ地方と呼ばれる辺りは歴史的にデンマーク王国の版図に入っていたこともあり、今も文化や方言にデンマークの影響が強く残っていると言われている。言われているんだけれど、元々デンマークとスウェーデンの文化の違いなんて分からないたろ父のような外国人にはそれこそ全く分からない。いっしょやん、みんな。スウェーデンの首都であるストックホルムは北の方にある。南部からは車で半日、ヒッチハイクと鉄道を乗り継いで行ったときは丸一日かかった。夜行列車で行ったこともあるけど、寝て起きたら着いていたので時間はよく分からない。コペンハーゲン~ストックホルム間の夜行列車はまだ橋の無かった当時はフェリーで海を越えていた。寝ていると気付かずスルーしてしまうが、軌道付きのフェリーがあって客車がそのまま入っていくのだ。デンマークは島と半島の寄せ集めみたいな国土なので、列車が乗れるフェリーはあちこちで見ることが出来る。
ストックホルムは、コペンハーゲンやオスロに比べるとかなり大きな都市だ。中心部にギュッと集まってるのではなく、割と広い範囲に散らばっている感じがする。ヨーロッパの大都市の多くは産業革命の時代に工業化に伴って人口の集約が進んでいるのに対し、ストックホルムの町は工業が集積した歴史がない。そのためかどうか知らないがどこの町にもある汚いごちゃごちゃした区画が見あたらず、町全体がとてもきれいに見える。ガイドブックなどでは、北欧の人は冬の間は心を閉ざしてひっそりとしているが夏になると開放的で友好的になるというようなことが書かれていたりする。実感としては、まあ人間誰でも寒いときより暖かいときの方が明るくなるだろうという程度で、特に北欧人だからどうとは感じなかった。市街の至る所に水路がある水の都なのだが、夏でも澱んで悪臭を放っているようなところが本当に見あたらないのでとにかくきれいな町だ。ガイドブックに載っている写真がほとんど夏の写真なのもうなずける。冬はどうなのかと言えば、実は個人的にはストックホルムの町は冬の方が好きだったりする。空も水もどんよりとグレーががって夏のように抜けるような美しさはないけど、北欧の街並みは灰色の背景ととてもよくマッチして落ち着いた美しさがある。日も短く、外は昼でも薄暗いけど家々の窓からは明るい灯が漏れて、特にクリスマスの時期はどの窓にもキャンドル型のランプが飾られている。建物の中は全館暖房で暖かく、外では押し黙って歩いていた人も部屋に入ると笑顔が戻る。寒いからあまり出歩かないのかと言えばそんなこともなく、帽子と手袋でしっかりあったかくして普通に出歩く。
ストックホルムではアパートで短期間ながら「生活」したこともあり、その頃の色んなことやドイツ各地をほとんど物乞いのようなまねまでしながら回った話、パリでのスーパー貧乏生活など、書けばきっと面白い話が色々あるのだが、残念ながら紙幅が尽きてしまった。というのは嘘だが、時間と根性がなくなった。また気が向いたら続きを書くかもしれないので、興味のある人はどうか気長に待ってやって下さい。