今さらBSEについて

投稿者: | 2009年10月6日

以前も何か書いたことがあるかと思って調べてみたら、一度も書いていなかった。これを書いているのは2009年の10月だが、BSE(牛海綿状脳症、Bovine Spongiform Encephalopathy)が日本で大きな問題になった2001年から既に8年が経ち、メディアで目にすることもほとんど無いのでもはや覚えていない人が多いのではないだろうか。
私自身、当時は報道される以上に詳しく調べてみることもせず、日本が牛肉輸入再開の条件として要求する全頭検査を頑なに拒むアメリカに対して不快感を持ったりしていた。今になって考え直してみる気になったのは、日本で蔓延している「ゼロリスク幻想」の一例として科学的根拠もなく全頭検査にこだわった当時の対応が言及されているのを何度か目にしたからである。
この書きぶりで明らかなとおり、現在私の立場としてはBSE対策の全頭検査には否定的である。理由としては全頭検査をしても完全に検出できるわけではない、そもそもリスクが十分に低いなど色々あるが、最終的にはリスクの定量的評価とコストとの兼ね合いによる判断である。
「ゼロリスク」を求めるというのは僅かなリスクをも認めないという態度であり、そもそも現実的ではない。交通事故による死者は日本だけで毎年数千人に上り、自動車という乗り物は相当にリスクの高いものだが利便性の高さ故に受け入れられている。あらゆる医薬品には副作用があるが、一般的に薬効による利益の方がはるかに高いため病気になれば薬を使う。要はリスクと便益及びコストとの兼ね合いだが、これにはリスクの定量的な評価が欠かせない。ゼロリスクというのは定量的評価の拒絶であり、一切の科学的、論理的判断の否定である。
さてBSEだが、現在は明らかになっているが2001年当時には分かっていなかったことが数多くあり、現在の知見で当時の対応を批判するのはフェアではないかも知れない。ただし、当時の知見で最良の対応は何であったかを事後に検証することは非常に重要であり、何につけ事後検証を怠りがちなのは日本人の悪い所だと常々考えている。日本で感染牛が見つかった2001年には異常プリオンの経口摂取による感染メカニズムはほぼ特定されており、危険部位も分かっていた。騒ぎの発端となったイギリスでの感染牛の流通規模やそれによるvCJD(変異型クロイツフェルトヤコブ病、いわゆる狂牛病)患者の発症数、死者数のデータもある程度分かっていた。つまり、日本の流通経路に感染牛の肉が流れたとして、国内でのvCJD発症数を科学的に推測することは可能だったわけだ。
日本で行った全頭検査の結果から推測すると、何も対策を取らなければ毎年5頭程度の感染牛が流通することになる。イギリスでのvCJD患者の数は2006年時点で150名強だそうだが、当初は最終的に5000人という予想もあったのでこの数字を基に人口調整等の処理をすると、日本国内での発症数は0.135人/年となるらしい。この数字は脳や脊髄などの危険部位を除去せず、かつイギリス並みに食べた場合である。危険部位を食べなければリスクは半分以下になり、流通過程で危険部位の除去を行えば更に1/100程度になるだろう。
検査を一切しなくても、危険部位の除去さえ行っていればvCJD患者の発生数は日本全体で千年に1人程度になるということだ。ここまでは、当時の知見で検証できたはずである。
更に、検査による検出は100%ではなく、特に若齢では検出不能ということは当時から認知されていた。若齢牛を含む全頭検査が科学的でないことは明らかである。検出率が100%でない以上、検査の目的は感染牛の排除というよりモニタリングの意味合いが強い。リスク管理の観点から言えば、不完全な検査に依存するよりも危険部位の撤去を徹底する方がリスク低減には有効である。ところが、こと特定危険部位の除去に関しては日本のアメリカよりお粗末で、スペースや設備の不足を理由にかなり最近までアメリカではとっくに禁止されていた処理方法を用いていた。これはほぼお金だけで解決できる問題であり、はるかに多くの費用をかけて不完全な全頭検査を実施する一方で危険な処理方法を放置するのは全く合理性が無い。
今手元にソースがないのであやふやな記憶だけで書くが、EUかどこかの食品安全何とかという機関の外国製牛肉のBSEリスク評価で日本がアメリカより安全とされたのは割と最近のことである。日本がアメリカから牛肉の輸入を禁止していた期間は、その評価では日本産の牛肉の方がより危険とされていたわけだ。
何故このようなことがまかり通るのか。私自身当時はメディアの報道にさして疑問も持っていなかったので偉そうなことを言えた立場でもないが、アメリカが比較的まともな対策を取れていたのに同時期に日本で何故非科学的な対応しかできなかったのか考えてみたい。アメリカ人が日本人に比べ牛肉食に非常に強く依存しており、多少危険だと言われたくらいで牛肉食を止めることなどできないというのは大きなポイントだろう。ただそれだけでなく、日本ではメディアがセンセーショナルに騒ぎ立てると行政が割と簡単に迎合してしまう傾向があるように思う。Wikipediaの表現を借りれば、「原因と対策」による食の安全管理よりも、「感情と対応」による安心対策がすべてに優先する、という状態である。「なんとなく危なそう」というだけでそれがどの程度「危ない」のか定量的に評価することなく、感情的に全否定してしまうのはBSEに限った話ではなく、遺伝子組み換え作物や化学肥料、都市部の水道水などの忌避も多くが根拠無く、あるいは根拠を調べる努力すらせずに行われている。片やマイナスイオンなど科学的根拠のないものをありがたがり、ペットボトルキャップのリサイクルのように直接的効果は期待できないもので環境に良いことをした気分に浸る。思うに、これら全てはリスクやコスト、便益を「定量的に」評価できていないことに根本的な原因がある。
政治家や行政、あるいはメディアに責任を転嫁するのは簡単だが、我々市民一人一人がもっと定量的評価のスキルを身に着け、物事を論理的に判断するよう心がけるべきではないだろうか。

今さらBSEについて」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 牛肉のセシウム « たろ父 blog

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です