たろ父は、色んな事情で人よりだいぶ長いこと大学に在籍していました。事情というのは例えば成績が悪かったとか、単位が取れなかったとか、有体に言えばアタマが悪かったとかそういうことです。大学では土木工学を専攻していました。「土木」というのは何かこう、いかにもドカタ臭いと言うか語感がスマートじゃない、というミーハーな理由でもって最近は大学の学科などでも土木の名前を避ける傾向があるそうです。たろ父の母校でも、今は地球なんちゃらとかいう名前に変わってしまっています。ちなみに、「土木」という言葉は明治頃に英語のCivil Engineeringか、ドイツ語かオランダ語の同様の単語を日本語に訳す時に、誰かが気を利かせて中国の古典の何とかいう話にある「築土構木」から取った、とどこかで読んだ気がしますが、よく知りません。尚、英語のCivil Engineeringというのはこれまた大雑把な言葉ですが、これは軍事(Military)の反意語として、民業という意味でCivilと言ったそうです。機械工学だの石油化学工学だのがなかった時代には工学と言えば軍事か土木くらいしかなかったということでしょうか。それはともかく、名前を変えても中身が変わるわけではないので、今でも相変わらず土臭いことをやってるはずです。
さて、土木工学というのは文系か理系に分けると間違いなく理系に属すると思いますが、巷で言う「理系男子」というのは電気とか情報とかの最先端技術っぽいのとか、あるいは化学みたいに白衣で試験管を振っているようなイメージではないでしょうか。作業服に長靴姿で測量儀を担いでいるのも理系男子に含まれるんでしょうか。それ以前に40前のオッサンが「男子」ってどうやねん、という問題もありますが、「女子」の方は最近かなり幅広い適用が認められているようなのでそこは「誤差の範囲」ということにします。ともかく、文系理系の分類なんてのは社会に出てしまえば普通はあまり関係ないのですが、エンジニアという職業を選んだ人はその意味で少し特殊かもしれません。
工学の世界が世間一般とすこし違っている点は色々ありますが、例えば「誤差」の概念などがそうかもしれません。工学では、あらゆる数字は常に誤差とセットで認識されます。逆に言えば、誤差の概念を含まない数字は無意味です。高校までの数学や物理でも有効数字は習いますが、大学の理工系や技術実務では更に誤差伝播や最小二乗法など誤差との付き合い方を叩き込まれます。常に数字の「幅」を意識するクセのついた人は、例えば「2万5千」と「2.5万」は別の数字と解釈します。「絶対にあり得ない」と「万に一つもあり得ない」は一般にはほぼ同じ意味ですが、ある種の工学分野ではそれこそ天と地ほどの違いがあります。
ここまで延々と面白くもない蘊蓄を書いてきましたが、ここでようやく太郎が登場します。小学4年生が有効桁や誤差範囲を理解してないのは当然ですが、太郎は実に安直に数字を弄びます。たろ父からすると、根拠もなく具体的な数字を出して「30倍くらい大きい」とか「ちっちゃいで。5ミクロンくらいかな」とか言うだけでも許し難いのですが、「128メートルくらい」とか「37万光年くらい」のように有効桁を無視して数字を口にするのには怒りすら覚えます。無駄を承知で何度か有効桁数の説明をしたのですが、やっぱり理解していないようです。ただ、何となく「お父さんの前であまり細かい数字を言うと、叱られることがある」とは思っているようで、何かで具体的な数字を口にするとはっとしてこちらの表情を伺ったりするようになりました。どうも指導の方法が間違っているようです。たろ父にとってはどういう進路に進み、どんな職業に就こうとも数字の「幅」を意識する感覚は生きていく上で必須だと思うのですが、エンジニアの歪んだ常識の一つなのかもしれません。