普天間基地移設問題

投稿者: | 2010年4月13日

時事問題についてです。面白い話は何もないので、興味のない人は(ってみんなか)読み飛ばして下さい。
たろ父が海洋土木を得意とする建設会社で関西国際空港2期工事の検討をしていた頃、関空の次の大型プロジェクトとして羽田空港再拡張工事、更にその次としては今話題の米軍普天間飛行場移設工事をターゲットに、色々な検討が行われていました。普天間飛行場の移設先として、当時は名護市辺野古のキャンプ・シュワブ沿岸を大規模に埋立てて造成する案が主力でした。沖縄は毎年台風が通過する海象条件の厳しいところなので、かなり難易度の高い工事が予想され、それだけに旨みも大きかったのです。その後、米軍再編によるグアム移転計画など紆余曲折を経て、2006年に辺野古沿岸を埋立ててV字に配置した滑走路を建設するという案で防衛庁長官と名護市長が合意し、これを含む米軍再編の日米合意がなされました。2010年4月現在、「現行案」「日米合意案」などと呼ばれるのはこの計画です。
既に工事がほぼ完了している関空や羽田でも最後まで反対する人はいるように、これだけ多くの人の利害が伴う決定で全ての人の合意を得るなどということは元々不可能です。それが可能であるかのような発言をする政治家もいますが、極めて不誠実な態度でしょう。民主主義のプロセスとしては、最終的には多数決で決まることになります。尚、地元沖縄では、現行案について名護市でも、沖縄県でも、容認する意見が多数となったことはありません。普天間基地は宜野湾市の市街地に隣接しており、航空機の離発着のコースが市街地の真上を通っています。離発着コースが海上となる辺野古沿岸に移設すれば騒音や危険性の点では確実に低減されるものの、名護市民としては現状より負担が大きくなるので反対するのは当然です。沖縄県としても、県外や国外に移転するという可能性が少しでもあるのであれば敢えて県内で移設先を受け入れたくはないというのは当然です。
歴史的に、沖縄が常に大きな負担を強いられているのは事実です。琉球王朝の時代から近隣諸国に翻弄され、太平洋戦争では住民を巻き込んだ地上戦が行われ、その後長らく外国軍の占領を経験しました。理由の一つは沖縄の位置が地政学上の要衝であることで、正にその理由のために現在も米軍が大規模に展開しています。近隣諸国との関係や日米安全保障条約を含む日本の国防について将来的にどういう方向を目指すのかについては国民全員がしっかりと考え、議論する必要があるでしょう。ただ、いずれにしても沖縄に軍事的プレゼンスが必要な状態が近い将来変わることは残念ながら期待できません。
国防というのは国家戦略の大きな柱の一つであり、それを抜きに国家の将来を考えることはできないはずです。ところが日本では半世紀以上に渡って国民の多くにとって国防を意識する必要が少なく、時の政権も深い議論は避けてきました。その結果、憲法改正や軍事、防衛については議論すること自体が右翼的・暴力的という意識が蔓延し、政治家、知識人やマスコミの理解度も低く、正しい情報が伝達されません。この事に対して教育や政治家、マスコミなどを責めるのは簡単ですが、最終的に責められるべきは我々国民一人一人の無関心でしょう。
さて、2009年の衆議院選挙で民主党が大勝し、歴史的な政権交代で鳩山内閣が誕生しました。政権誕生から半年を経た現在、目立った成果がほとんどない状態ですが、普天間基地移設問題については迷走としか言いようのない状態が続いています。現閣僚のほとんどは野党時代には普天間問題やその背景にある安保条約、国防について深く研究、分析したことがないようです。選挙の戦術として辺野古沿岸に移設する現行案をやり玉に挙げながら、代案をきちんと検討することをせず、米海兵隊は全てグアムに移転すれば済むと安易に考えていたようです。政権に就き、各省庁から説明を受け、勉強して初めて問題の本質を理解し、移転先が必要であることを認識した閣僚もいるようです。2009年末の時点で、2014年までに移転を済ませるには現行案以外に選択肢がないことはほぼ明らかで、少なくとも一部の閣僚がそう認識していたことは当時の発言からも伺えます。しかしながら政府は見解をまとめることができず、また選挙で攻撃した現行案を追認する事への批判を恐れて、首相が県外・国外への移転を検討すると発表してしまいました。日米安全保障条約を破棄して自主国防する覚悟がない以上、政権交代の前後で米軍も周辺国も取り巻く状況に大きな変化はなく、したがって10年以上かかってようやく合意に達したプロセスを捨てて新たに検討しても簡単に合意できるわけがないことは明らかです。事実、その後首相を含め色んな閣僚が思いつきで好き勝手な発言を繰り返していますが、どの案についても政府は現行案に対するメリットを説明できていません。国民、特に沖縄県民への説明を先延ばしにし続けた結果、県外への移設の実現性があるという誤った希望を持たせてしまい、現行案の実現すらもより困難にしてしまいました。
政府は2010年5月末までに解決すると言っていますが、現時点でそれを信じている人はほとんどいないでしょう。2009年末にはまだ現行案を実行する目処が立っていましたが、その可能性も萎んでしまいました。結局、普天間基地は返還されることなく、宜野湾市の負担は継続することになります。1996年以来14年間に渡る関係者の努力は全て無に帰すこととなります。ここまで問題を悪化させたのは鳩山首相個人の責任も大きいとは思いますが、この政権を誕生させたのは他ならぬ我々国民であることは忘れてはいけないでしょう。

追記
軍事をイデオロギーに依らず論理的に解説しているブログ、「リアリズムと防衛を学ぶ」に普天間移設に関するエントリーが上がっています。非常に良くまとまっていると思いますので、紹介しておきます。
普天間移設、および軍事は政治の道具だということの意味

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です