一部で話題になっていたので最近知りましたが、生後2ヶ月の女児が死亡したのはK2シロップの投与を行わなかったためとして母親が助産師を相手に損害賠償請求訴訟を起こしているそうです。赤ちゃんが亡くなったのは昨年ですが、入院先でビタミンK欠乏性出血症と診断され、その後実はこれを予防するK2シロップの投与が行われていなかったことが判明したということのようです。
ビタミンK欠乏性出血症の発症確率は1/2000から1/4000程度と高くはないのですが、発症すると予後が重篤になることが多く、1990年代以降は全ての新生児に3回に分けて投与するのが標準となっています。低体重児などでは経口投与が行えない場合もあり、その場合は注射等でビタミンKの予防投与を行うそうです。
今回の事件では、助産師がホメオパシーに嵌っていて、なるべく西洋医学(標準医療?)の薬は使わないという信念の元、K2シロップの代わりにレメディーなるものを投与した上、母子手帳にはK2シロップを投与したと虚偽の記載をしていたというものです。母親にはK2シロップの代わりにレメディーを投与すると事前に説明したようですが、レメディーにビタミンKを補う効果はないことを説明していませんでした。
ホメオパシーは100年以上の歴史を持つ由緒正しいニセ科学、もとい、代替医療で、イギリスやフランスでは未だにそれなりに人気もあり、一時期は保健医療の対象になっていたこともあります。そのため、ホメオパシーの効果を科学的に検証しようという試みも数多く成されてきましたがことごとく失敗し、現在では先進国では「プラセボ(偽薬)以上の効果はない」と評価され、保健医療の対象からも外れています。
ホメオパシーで用いるレメディーというのはある症状を起こす原因物質を極限まで希釈して摂取するというもので、標準的には10^-60くらいに希釈するそうです。100年前の科学知識がどんなものだったかよく知らないのですが、現在の高校の化学でアボガドロ数を習ったことがあればこれが科学的に全く無意味なことが分かるでしょう。いや、言い過ぎました。習ったことをちゃんと覚えていれば、というのも付け加えます。忘れていたので今調べなおしましたが、アボガドロ数は物質1molに含まれる分子の数で、だいたい6.02*10^-23です。つまり、10^-60希釈というのは、元の物質がもはや1分子たりと存在していない状態なのです。それでも効果があると主張するための説明としてはエネルギーレベルがどうした、波動がこうしたといった凡そ科学とは呼べないものしかありません。
一方、医療の現場、特に臨床においては必ずしも全ての治療法の作用メカニズムが解明されているわけではありません。何故効くかは(まだ)分からないけれどとにかく効く、ということで採用されているものも結構あります。この場合、統計手法などを駆使して疫学的に効果を検証することになり、これも立派な科学です。
疫学調査では、例えば新しい薬の薬効を調べる場合、被験者を2つの群に分けて、片方には薬を渡し、もう片方には見かけも味も全く同じだけど何も入っていない偽薬を渡したりします。この際、被験者がどちらを渡されたか分からないようにすることはもちろん、試験する側も分からないようにしなければなりません。そうしないと、解析する時に「確証バイアス」がかかって、無意識のうちに都合の良い解析をしてしまうからです。二重盲検法と呼ばれるこの手法は現在では一般的ですが、ホメオパシーの有効性が信じられていた時代はまだ確立されておらず、二重盲検法による追試でホメオパシーに効果がないことが確認され、保険適用対象から外されたという経緯があります。
先に「プラセボ(偽薬)以上の効果はない」と書きましたが、逆に言えばプラセボとしての効果はあり得るということでもあります。それなりに歴史もあるので、腹痛にはこのレメディーが効く、と強く信じていれば、例えそのレメディーに何の薬効もなくても本当に腹痛が治まることは十分にあり、場合によっては非常に有効でもあります。
今回の事件に戻ると、助産師に悪意があったとは考えにくいでしょう。純粋に赤ちゃんのために良かれと思ってホメオパシーを実践し、これまで特に問題も起こらなかったため、K2シロップは不要だという確証を深めていったのかもしれません。たとえ悪意が無くとも、助産師という専門職としては許されない行為です。個人としてホメオパシーなり鰯の頭なりを信じて自らに実践するのは自己責任の範疇ですが、専門家として他人に勧め、標準医療から遠ざけるのは職業倫理に反する行為です。また、発症率が1/2000から1/4000程度というビタミンK欠乏性出血症に対し、「自分の(数十例の)経験上これまで大丈夫だった」というのが如何に無意味なことかは専門家ならずとも理解すべきです。ただ、これは当該助産師個人だけの問題ではなく、もっと根の深い構造的な問題のように思います。
科学を扱う側の問題でもありますが、科学では客観的事実が全てなので、感覚や感情といったものは極力排除します。そこがある種の「冷たさ」と感じられるのかもしれません。医療従事者は対象が人間なので、冷徹な科学と人間らしさのインターフェイスとなります。これはとても難しいことだと思います。決して良好ではない労働環境で日々献身的に働いておられる医療従事者の方々には頭の下がる思いですが、「自然」や「人間本来の能力」をキーワードに標準医療を否定するダークサイドに堕ちることなく、常に確証バイアスを排除したエビデンスを重視する「専門家としての良心」を維持して頂きたいと思います。