たろ父はごく普通のオッサンですが、どんな人でもちょっとくらいは人とは変わったところがあるもので、たろ父もいくつかはあります。性格とか癖みたいな客観的に評価しにくいものは別にして、経験とか家庭・生活環境のように履歴書で読めるようなものでもやや珍しい所はあるでしょう。
たろ父が自分で「人と違う」事を初めて明確に意識したのは、多分中学生の頃だと思います。小学校の友達のほとんどが地元の公立中学に進学したのに、たろ父はたまたま受験してみたらまぐれで合格してしまった私立の中学校に進学しました。その学校の制服は学生服なのですが、色が一般的な黒ではなく、紺色だったのです。その地域は男子の制服は公立が黒の学生服、私立は黒以外の学生服又はブレザーというのが一般的で、黒以外の学生服を着ているだけで一目で公立の生徒でないことが分かってしまいます。多感な少年だったたろ父はそれだけで恥ずかしく、学校以外の所で制服を着るのがとにかく嫌でした。
やがて思春期を迎えたたろ父は自分がとんでもなく不幸な境遇に自ら飛び込んでしまったことを悟ります。たろ父が進学した中学校は男子校でした。しかも、中高一貫の学校だったのでその環境は6年間固定されています。貴重な青春の6年間、同級生も、クラブの先輩・後輩も、ついでに教師まで全部男だけなのです。事の重大さに遅まきながら気付いたものの、もはやどうすることもできません。その後の6年間、たろ父はエネルギーのかなりの部分を同世代の女の子と仲良くなることに費やすことになりますが、それはまあ思春期の男子としては普通でしょう。
大学生になったたろ父は、クラブを選ぶ時に少林寺拳法や空手などの武道系(多少心得もあり、好きだった)や、勧誘されて楽しそうだった合唱団(歌が好きだったわけじゃなく、その、女の子と…とか)なんかと迷った末に、何を血迷ったのか応援団を選びました。この頃には、少し「普通と違う」ことにもそれなりのメリットがあることに気付いていたのかも知れません。
応援団員であることの影響は想像以上に大きく、クラスでは知らない間に有名人になってるし、下宿の同級生にも何故か一目置かれ、公式な活動で学ランを着て電車に乗れば高校生から指さして笑われたりします。そのうちにそれを不快にも思わなくなるので、慣れとは恐ろしいものです。
その後色々あって、海外で生活したりもしたわけですが、海外で「外国人」として生活しているとそれこそどんなに努力しても「普通」に振る舞うことはもはや不可能です。一旦開き直ってしまえば却って気が楽になるもので、少々恥ずかしい事を言ったりしたりしてしまっても「ま、外国人だから」と許して(諦めて?)もらえるという安心感は、放っておくとどこまでも堕落してしまう心地よさです。特に、周囲に日本人も日本をよく知る人もいない環境ではやりたい放題で、都合が悪くなれば「んとね、日本にはそんなの無いから俺わかんね」とか「ごめんごめん、日本じゃいつもこうやるもんだからつい」とかいくらでもごまかしが効きます。たろ父の適当な言い訳のために日本について誤った認識を持ってしまった関係者の皆様にはこの場を借りてお詫び申し上げます。誰も日本語読めないけど。
そんなこんなで色々な経験をしているうちに年齢を重ね、大学を卒業できないまま放校処分になる限度ぎりぎりの所でようやく卒業して新卒として就職したときには履歴書の上ではかなり「普通ではない」所の多い状態になっていました。新入社員としての扱いは他の学部卒の人達と全く同じなのですが、同じ学歴の人よりちょっとだけ(6年ばかし)歳が上で、既婚者なので最初から寮ではなく社宅に入居し、既に1歳の太郎の父親になっていたのです。
ところが、社会人になってしまえば履歴書のちょっと変わった内容の影響はどんどん薄まっていきます。たろ父も転勤、出向、転職を経て、今の職場ではすっかり「普通」になりました。というか、「普通」の範疇が拡がった結果自動的にそこに含まれるようになりました。
さて、太郎は今のところ履歴書に書けるような資格も特技もなく、もちろん学歴も職歴もないのでその意味では全く普通です。日常生活ではなかなか「普通のこと」ができなくて苦労が絶えませんが、昔とは要求されるものが違うので、どれくらい「普通じゃない」のか、あるいは普通なのか、実のところよく分かりません。