最近お堅い話が続いたので、たまにはアフリカの思い出話なんぞを。
とあるNGOのメンバーとしてモザンビーク北部の片田舎に赴任して数ヶ月経った頃、快適な同僚たちとの共同生活ではあったのですが、少し嫌気がさしてきてもいました。気の合わない同僚が何人かいて、我が儘な言動にどうにも我慢ができなくなっていたのです。特にそのうちの一人、ええいどうせ日本語なんて読めないんだ、ピーター、おまえだおまえ。隣の部屋にいたそいつには本当に耐えられなくなっていました。
そんな頃、少し離れた現場で住み込みの仕事の話があり、真っ先に手を上げたのです。小学校の建設現場で、既に事務棟や校長宿舎がほぼ完成していたので現地人スタッフと一緒にそこに住み込むというものです。ルームメイトの温厚なナイスガイ、スーナも件のピーターにはたいがい辟易していたと思いますが、その時は手を上げず、唯一志願したたろ父がすんなり選ばれたのです。ちなみに、異動してから2週間ほどして一時帰宅してみるとスーナは更に僻地の現場に異動していました。やっぱり嫌だったんじゃん。
さて、異動先での仕事はそれまでとそんなに変わらず、相変わらずのんびりゆったりペースでやっていたのですが、ボス(デンマーク人の怖いおばちゃん)があんまり来ないので現場の采配も比較的自由にでき、同僚(本当の現地人ではなく、ナミビア人とザンビア人)とも仲良くなって楽しい生活でした。
食事の用意や掃除、洗濯なんかの細々した用事のために近所の女性を一人雇ってもらっていて、そうした家事もする必要がなく、ある意味非常に優雅な生活でした。ただし、彼女には頼めない重要な用事がありました。それは料理する前の生きた鶏の処理です。正確には鶏を絞める工程だけなのですが、イスラム教のローカルルール(多分)で女性は殺生をしてはいけないらしく、そこは男性の仕事なんだそうです。近所の村でも、たしかに庭先で鶏を絞めているのは男性です。なにやらぶつぶつ言いながら絞めているのですが、聞くとお祈りというか、食べるために殺さなければならないことへの贖罪みたいなことをコーランの言語(アラビア語)で唱えているそうです。
男3人はだれも鶏を絞めた経験がなく、たろ父がやってみることになりました。最初はやり方が分からず、ナイフで頸を切るのですがちゃんと押さえていなかったので頸を切られた鶏が血をまき散らしながら暴れたりして大変でした。それを見て怖じ気づいたのか自称クリスチャンのアフリカ人2人は以後も頑なに嫌がり、鶏絞め担当はたろ父になってしまいました。
絞めるのはすぐに慣れて上手にできるようになったのですが、実はその前にも一仕事あるのです。食用の鶏は市場や近所の村で生きたまま買ってきて、食べるまでは敷地内で放し飼いにしています。餌を与えることもなく、その辺の虫を食べたりしているだけなので非常に精悍な体付きで、動きも素早いのです。食べるためにはまず捕まえる必要があるのですが、これがなかなかの大仕事です。普段は我々の近くを平気で歩いているくせに、やはり殺気を感じるのでしょうか、いざ捕まえようとすると必死で逃げます。こちらも女性が帰ってしまう前に締めて料理してもらわないと晩ご飯のおかずがなくなるので、やはり必死です。鶏と人との命を賭けた戦い、これが週2回くらい定期的に繰り返されていました。ムスリムでもクリスチャンでもないたろ父ですが、戦いの後で絞める時には「悪いな、俺たちも食べなきゃならんのさ」とか何とか英語でつぶやき、なるべく苦しまないよう素早く絞めるよう心がけていました。
アフリカの話は書き始めるとキリがないので続き、というか別の話はまた別の機会に。