社長賞の想い出

投稿者: | 2011年6月30日

今の勤務先でも社長表彰なる制度があって、昨年度に散々苦労した業務について上司に推薦されてしまったので発表用の資料をシコシコ作ったりしてるわけです。あーもう面倒くさい。

ところで、たろ父が若い頃働いていた荷揚げ屋の会社でも社長賞というのがあり、結構な金額を頂いたことがあります。荷揚げ屋というのは建設現場で資材を人力で移動するための作業員を派遣する会社で、職種は揚重(ようじゅう)工となります。いわゆる建設作業員の中でも最底辺に近い職種ですが、バリバリのガテン系で体力がなければ絶対にできない仕事なので、本人たちはそれなりにプライドがあったりします。ジジイでもできるドカタ(土工)や雑工とは違うんだぞ、みたいな。
搬入された資材を間配りするだけの仕事なので、搬入時間に合わせて現場に入り、作業が終われば上がりというやり切りがほとんどで、賃金も1日いくらではなく、1現場いくらで支払われます。つまり、1日に複数の現場を掛け持ちすることが可能なのです。業界では、2現場掛け持ちすることを「ダブル」と呼んでいました。
さて、その会社の社長賞というのは単純に現場の数をたくさんこなした人に与えられていました。基準は確か1ヶ月で50現場だったと思います。これを達成するのはなかなか大変で、ほぼ毎日ダブルをこなし、たまには「トリプル」くらいする必要があります。実際、社長賞が出るのは1年に2、3回だけでした。たろ父が取ったときは夜間工事があって、トリプルどころか最高1日5現場という記録も達成しました。
そんなこんなで手取りだけなら今より稼いでいたかもしれないくらい収入も良かったのですが、それ以上に自分が常人にはできないことをしている、という感覚に浮かれていました。数十kgの資材を担いで走り、時には階段を駆け上り、それを何時間も延々と繰り返すのですから、はっきり言ってバカです。トラックの運ちゃんが荷台から資材を渡してくれたりもするのですが、「何枚(持てる)?」と聞かれて「何枚でも」とマジメに答えて呆れられたりしました。実際に100kg以上を難なく担いで更に呆れられたり。今の弛みきったたろ父の体からは信じがたいのですが、当時は本当にムキムキの筋肉質だったのです。特に前腕の筋肉がゴツく、腕相撲では同業者とプロレスラー以外には負けないと本気で思っていました。当時のたろ父にとって、現場で他の職人さんから言われる「君ら、バケモンやな」という言葉は最高の褒め言葉でした。やっぱりバカだ。

こんな想いで話を書き散らして現実逃避しても目の前の資料作成は進まないわけで。さ、いい加減パワーポイント仕上げてしまうか。

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