牛肉のセシウム

投稿者: | 2011年7月13日

福島県南相馬市から出荷された牛肉に規制値を超えるセシウム137が検出された問題で、2011年7月中旬現在、軽いパニックのような状態になっている。安心のためには全頭検査が必要という意見が閣僚からも出ているが、実現は容易ではない。「安全と安心」についてはこれまで何度も書いているが、「安心のため」ということであればどこまでやればOK、という基準はそもそも存在しない。どんなリスクも完全にゼロにはできないし、仮にできたとしてもそれで本当に「安心」できるかと言えばそれはまた別問題だからだ。一方、「安全」については合理的に達成可能で、一般的なゴールはリスクをバックグラウンド、つまり日常に存在する様々なリスクと同等レベルまで下げるということだ。今回は、牛肉に混入したセシウムのリスクを考察してみる。

食肉牛の全頭検査、といえば思い出すのが2001年のBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)騒ぎである。これについては以前「今さらBSEについて」という記事を書いているが、2001年当時の知見でも全頭検査という対策が非合理的であったことは明らかで、結果的に日本でvCJD(変異型クロイツフェルトヤコブ病)患者が出ることはなかった。あれだけ騒いでアメリカと貿易摩擦まで起こしておきながら、その事後検証には誰も興味を持たず、メディアで報じられることも無いのは相変わらず困ったことだ。

さて、BSEあるいはvCJDと放射性セシウムによる低線量被ばくの最大の違いは、BSE感染牛の危険部位を一度でも摂取すればvCJDに感染する危険があり、かつ発症すれば難病であるのに対し、低線量の放射線被ばくは「確定的影響」はないということである。積み重なればその量に応じて将来の発癌リスクが高まるというもので、喫煙や脂っこい食事と似たところがある。つまり、ずっと続ければそれなりにリスクが高まるが1回の摂取、曝露による影響は極めて限定的ということだ。

それでは、実際にリスクを定量的に試算してみよう。食肉中のCs137については食品衛生法の基準は500Bq/kgである。今回はそれを上回る2000Bq/kg程度(最大2300Bq/kg)が検出された。4倍程度なので、食品衛生法を信頼するなら単純に牛肉を食べる量を想定量の1/4にすれば同程度に汚染された牛肉を今後も食べ続けて問題ないことになるが、ここでは被ばくリスクの原点に立ち返って検証してみる。

放射性物質の摂取による内部被ばくについては、摂取経路、核種ごとに実効線量係数が定められている。Cs137の経口摂取であれば実効線量係数は1.3×10^-8 Sv/Bqだ。桁数を減らすためにμSvで表せば0.013μSv/Bqということになる。普通の人が牛肉をどれくらい食べるか知らないが、ここでは多めに見積もって問題の牛肉を1kg買ってきて、何日かに分けるなりして全部一人で食べたと仮定しよう。つまり摂取したCs137は2000Bq、これによる内部被ばくは26μSv となる。これは、1年間に自然放射線から受ける被ばく量の2.6%に当たる。ちなみに、日本からアメリカやヨーロッパの都市に飛行機で往復すると100μSv程度被ばくするので、それの1/4程度ということもできる。

喫煙の習慣は癌のリスクを1.5倍程度引き上げることが知られているが、今1本吸うことによる追加リスクがどの程度かを定量的に評価するのは難しい。現実的にはほぼゼロだろう。26μSvの被ばくによるリスクも統計には現れないという意味ではゼロだが、敢えて直線閾値なしモデルで計算すれば発癌のリスクが0.00013%ほど高くなることになる。

今回の牛肉に関しては、飼料の管理に問題があったことがほぼ特定されており、一過性のリスクと考えてよい。実際には流通の多様性を考えても特定の個人が継続的に大量のCs137に汚染された牛肉を摂取する可能性は極めて低いだろう。この程度のリスクに対し、地域を絞るにしても全頭検査という対策に果たして合理性があるのだろうか。生卵のサルモネラ菌、ピーナッツバターのアフラトキシン、ほうれん草の中のシュウ酸など、そもそも全ての食品には一定のリスクがある。生鮮食品では特に、流通システムに負担を強いる過剰検査は鮮度の低下により却ってリスクを増やす危険もある。

現在分かってる情報から合理的に分析すれば、コストを掛けて特定地域の食肉牛を全頭検査しても消費者の「安全」には寄与しないことは明らかである。それでも「安心」のためにはやむを得ないのだろうか。
消費者の不安をメディアが無責任に煽り、行政が科学的合理性を軽視して安易に大衆の一時的な感情に迎合する態度を続けるのであれば、いったい誰が「安全」を守るというのだろう。

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