五山の送り火

投稿者: | 2011年8月10日

(English version is below the Japanese text)
京都に住んでいても京都の祭りをわざわざ見に行くことはそんなになかったりするのですが、五山の送り火はほぼ毎年見ていました。生活圏の左京区に最大の左大文字と妙法があり、わざわざどこかに行かなくても普通に見えたのです。左大文字は銀閣寺から続くその名も大文字山にあり、大学から近かったため普段からよくランニングとかで登ってました。
今年(2011年)、五山の送り火でちょっとしたゴタゴタがありました。ある芸術家の発案で、3月の津波で流された陸前高田市の高田松原の松を薪として送り火で燃やすことを提案、主催者である大文字保存会と陸前高田市も合意しました。これを受けて松が集められ、被災者が亡くなった方への鎮魂のメッセージなどを書き込みました。
ところが、この計画を知った一部の市民が放射性物質を含む灰が飛散することなどを懸念して、京都市や保存会に抗議や意見を送りました。その数は数十通程度だったそうです。京都市、保存会では使用予定の松の汚染検査を実施して汚染がないことを確認しましたが、結局受け入れを中止し、8月8日に陸前高田市で「迎え火」として燃やしました。
今度はこの決定に対して1000件を超す抗議が殺到し、8月10日に保存会は一転して新たに薪を取り寄せて8月16日の送り火で燃やすことを決定しました。
以上が8月10日時点での顛末です。このドタバタの何が問題なのか考えてみましょう。
まず、原発から240km離れた土地で薪の表面に付着した程度の放射性物質が何らかの悪影響を及ぼすことはほぼ考えられませんが、今回はわざわざ検査、それも簡易検査だけでなく成分検査まで行った上で汚染がないことを確認しており、放射性物質に対する懸念は全くありません。それでも、「なんとなく」不安に感じる人がいるのは自然なことですし、その中の何人かが抗議や意見をするのも責めるべきことではないでしょう。これが地元の有志だけで細々とやっている小さな祭りであれば、「やっぱり止めておこうか」としてもそれほど大きな問題にはならないでしょう。ところが五山の送り火というのは、形こそ保存会が主催する地元の祭りですが実態は日本を代表する祭りの一つであり、京都市にとっては一日の集客力が祇園祭を凌いで年間最大を誇る一大観光資源です。このように公的な性格を持ってしまっている以上、保存会の決定は地元を越えて多方面に多大な影響を与えてしまいます。
一部の人が根拠なく「なんとなく不安だから止めて欲しい」と言ってくることは自然なことですが、公的な性格を持つ主催者はそれを安易に認めるべきではありません。かなりのコストを掛けて成分分析までしているのですから、「ちゃんと検査して安全を確認しています」ときっぱりと断るべきでした。検査で汚染のないことを確認した上で受け入れを拒否するということは、科学的に根拠がなくても「穢れた」東北の物は京都には入れない、という意思表示ととらえられかねません。外部の人の一部は、それを京都人の意思と判断するでしょう。今は京都を離れていますが京都を愛する者として、これはとても残念です。

Gozan-no-Okuribi, more commonly known as Daimonji, is a famous festival in Kyoto. A big character shaped fire on a hill side highlighted in a dark is one of Kyoto’s icon. The hill, or the mountain as the locals call, is very close to where I used to live and very familiar to me.

This year, there was an argument about Okuribi. An artist living in Kyushu suggested that they should use pine from tsunami stricken Rikuzentakata as firewood, with messages of requiem on it. Both Rikuzentakata city and the organizer of Okuribi liked the idea and agreed. Pine was collected and messages were written.

Then, some people in Kyoto who heard the plan felt uneasy because they thought there might be some radioactivity from Fukushima Daiichi NPP on the wood and burning it might contaminate Kyoto. Some tens of messages of protest were sent to the organizer.
The organizer and Kyoto city carried on a thorough inspection on the wood and detected no radioactivity. Still, they decided not to accept those wood. The wood was burnt at Rikuzentakata, as welcome fire, or Mukaebi (Okuribi means send off fire) on the next day. Soon after they announced the decision, they received much more messages of protest, this time against their decision. Regret or not, the wood was already burnt. They decided to collect another pine from Rikuzenntakata and burn them at Okuribi on August 16th. That was what happened until August 10th, 2011.

Worrying about radioactivity at Rikuzentakata, which is 240km away from the NPP, is scientifically nonsense. Moreover, they carried on componential analysis and confirmed that there was no radioactivity on the wood. Denying to accept even though the safety is confirmed, can be read as a message saying, “Kyoto will never accept anything from contaminated Tohoku, regardless of scientific basis.”
I truly love Kyoto, which is my second home town and where Taro was born. That’s why I feel very sorry about this stupid argument.

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