日本でも今後エネルギー問題が重要な政策課題になってくると思うけど、エネルギーインフラにほとんど依存しない生活というのがどういうものか、一例を紹介しよう。
たろ父がモザンビークで働いていたときの話だ。たろ父や他の同僚が一緒に住んでいたムズワナ村は、しょっちゅう止まるとは言え電気も水道も来ていた。徒歩15分くらいの学校まで行けば電話やFaxまであった。こちらも時間帯や気象条件によっては使えないことがあるのはご愛敬。
さて、同僚間の人間関係に少し嫌気がさしていた頃、ムズワナ村からは通えない任地への出向の話があった。最初の話に飛びついたたろ父は比較的近く、定期的に資材トラックが通っているので週末ごとにムズワナに帰ることのできる現場に配属になった。電気はないけど水道が来ていて、まだまだ文明的な生活条件だった。次に打診があったのは雨が降れば陸の孤島となるイトクロという僻地で、そこをベースにしている別のチームと共同生活するというものだった。仲の良かったスーナが志願した。彼もまたムズワナの人間関係にはうんざりしていたのだろう。
たろ父はイトクロには何度か遊びに行って数日滞在したくらいで、そこで生活していたわけではないけど、先進国出身者にはなかなか非日常的な生活様式だった。
イトクロには電気も水道も通っていなかった。水は給水車がタンクに入れていってくれるのだが、雨が降ると赤土の未舗装道路は車の通行ができなくなり、そうでなくてもアフリカでは予定が数日遅れるのは日常茶飯事なので、雨水をタンクに溜める仕組みもつくってあった。燃料は木炭で、こちらは地元で作っていて、少し歩けば道端でも売っていたし、キャンプには頼まなくても誰かが売りに来てくれるので供給の心配はなかった。
食糧は近所でも最低限の食材は手に入るけど、少しまともなものを食べるために週一くらいで誰かが町まで買い出しに行っていた。
煉瓦で作った原始的なオーブンがあって、毎日のパンは自給していた。とは言っても全部自分たちでやるわけではなく、コック兼オーブンその他のメンテ役に地元の人を一人雇っていた。パン作りは次のような手順になる。
まず、生地をこねる。調理や作業は基本的に屋外でする。照明のない屋内は暗いからだ。ちゃんとした調理台があるわけではないので、土埃やらごみやらがどうしても混入してしまうけど、そんなことを気にしていたらここでは生きられない。適当に丸めた生地を一晩寝かせ、翌朝に焼く。
オーブンは、煉瓦を組んで内部に空間を作り、入口に蓋をできるようにしただけのシンプルなものだ。まずは木炭を入れて燃やし、灰を掻き出した後に調理したいものを入れて煉瓦に蓄えられた余熱で調理するという仕組みである。入れ替えは熱が逃げないように素早くする必要があり、当然灰が少なからず残る。焼けたパンは少し煤っぽいけど、そんなことは気にしてはいけない。
焼きたてのパンはなかなかに美味しい。煤がついていれば払えばいいし、砂がジャリジャリするのが気になればその部分だけ取って捨てればいいだけだ。ちゃんと火を通してるから、ちょっとくらい砂や虫が混じってても問題ないのだ。
イトクロでは太陽電池を設置していたけど、効率の悪そうな小さなパネルが3枚くらいで、むき出しの自動車用12Vバッテリーに蓄電しているだけなので、寝室の小さな電球を数時間灯すのがやっとだった。昼間天気が悪ければそれさえもままならない。だから、ロウソクは必需品だった。
電気がないのはたろ父の現場も同じだった(工事の途中で開通した)けど、慣れてしまえばどうにかなるものだ。周囲の集落にも全く照明がない状態だと、月明かりや星明かりだけで少し出歩くくらいは不自由しなくなる。満月の夜なんて、自分の影がはっきりと分かるくらい明るいのだ。大型の肉食野生動物は棲息していない地域だったので、夜道を歩くのはそんなに危険ではなかった。
電気を使わない生活というのは、やってみると何とかなるものだ。実際、世界の半分くらいの人はほとんど電気を使わずに暮らしているし、何割かの人は全く電気を使っていない。彼らが先進国に住む我々より必ずしも「不幸」なわけではない。幸せの形は色々あっていいはずだ。ただ、文明化した社会の方が「安全」であることには疑いの余地はない。
たまたま自分が体験していたので極端な例を紹介したけど、エネルギーの消費量と社会の安全性、つまりどれだけ人が死なないか、というのは、完全な線形ではないにしろ正の相関がある。つまり、エネルギー消費が少なくなると、人は死にやすくなる。将来どんな社会を目指すべきかを考えるときには、忘れない方がいい。