FT翻訳:気候災害のリスクは率直な話し合いが必要

投稿者: | 2012年8月6日

Financial Times紙のOpinionコーナーから。元の記事を読むには登録(無料)が必要です。文体は、ちょっと山形浩生を意識してみた。

気候災害のリスクは率直な話し合いが必要
http://www.ft.com/intl/cms/s/0/7563449e-dd56-11e1-8fdc-00144feab49a.html

このコーナーでもこのところユーロ圏危機をどうやって切り抜けるかっていう話が多くなりがちだ。でもこの問題は10年もしないうちにどっちにしろ決着は付いている。片や、もっと大事な気候の危機についてはほとんど論じられない。これは一つには、気候変動が人々の関心事から外れてしまったことによる。でも僕らが思うに、それだけじゃなくてこの問題が複雑で異論が多く、専門家じゃないコメンテーターには扱いにくいという問題もある。さらに、起こり得るリスクに対する正直な警告は扇動的な「デマ」として非難されかねない。

僕らの考えでは、最初の理由は事実じゃないし、2つ目も言い訳にはならない。

大気中の二酸化炭素濃度は今や400ppmで、毎年2ppmずつ増えている。排出率も世界経済の拡大に合わせて増えているから、二酸化炭素濃度は今世紀の中頃には550ppmに達する。これは産業革命以前の倍の濃度だ。

二酸化炭素濃度が倍になれば、地表での気温の中央値は3℃上昇する。これは気候モデルを使わない大雑把な推計だ。科学的に合意された不確実性の範囲は、気温上昇が2℃から4.5℃ということになる。だから、3℃よりも高い場合と低い場合の両方に対して別々にリスクを考えておかくちゃいけない。

ここに示した数字は、科学の主流をなるべく簡潔に集約したものだ。3℃っていうのは大したことないように見えるけど、最後の氷河期とその後12000年ほどの温暖な時代の気温差が6℃というのと比べて考えなくちゃいけない。

排出が続けばどうなるかについての論争っていうのは、突き詰めれば警告されている水準に達するまでにどれくらい時間的余裕があるのかという点と、それによるダメージのコストがどれくらいになるかという点に集約される。確かなのは、気温を3℃上昇させるリスクはとんでもなく大きいってことだ。更に、気温上昇を2℃に抑えるという政治的公約は、主要な経済圏の脱炭素化に向けた素早い対策に失敗した今となっては達成できないことが明らかだ。これらはどれ一つとして特に複雑な話じゃない。科学者、ビジネス界の人、政府のアドバイザーの間では全て議論され尽くしている。ただし、個人的にね。

温暖化はどこでも同じように起きるわけじゃない。北極氷原がかなりの勢いで溶けていることからも明らかな通り、極地では他の地域より早く進展する。地域によってバラバラな温度上昇は地理的な温度勾配を変えちゃうから、その結果天候パターンが変化し、不安定にもなる。現在の0.8℃の気温上昇でも極端な天候が起こりやすくなり、それが2010年にロシアの小麦に打撃を与え、今まさにアメリカのトウモロコシにもダメージを与えているのだ。

こうした出来事から、将来の姿を垣間見ることができる。気温が3℃上昇したら、天候の変化と不安定化のせいで主要生産物の収穫高は激減するかもしれない。これは世界中で起こり得るし、どんなに頑張って農業技術で適応しても毎回数年は続くだろう。これに輪をかけて、極端な洪水のダメージやそれによる人口の移動が加わるわけだ。

公の場での議論というのは選択的なものだ。何年もの間、個人の間では議論されてきた重要な問題も公的な場では批判を恐れて避けられてきた。でもそのうち、かつては極端だった意見が主流になってくる。アメリカでの今年の天候不順で、それが早まるかもしれない。

そうなれば、影響力のあるコメンテーターの間で暗黙の了解になっている、気候変動についてはあまりショッキングな事は言うべきじゃない、というのは崩れることになる。気候モデルの計算によれば、気候変動による他の問題は置いておくとしても、数十年のうちに僕らはかなり飢えていることになるかもしれない。飢えっていうのは僕らが適応できる範囲を飛び越えて、社会秩序が崩壊する領域にまで一気に進める原因にもなりかねない。

人間の本質というのはなかなか融通が利かないもので、キャパにも、変わろういう欲求にも限りがあるらしいというのは根拠のある話だ。現代の経済は、化石燃料を燃やしまくった成長の上に築かれたものだ。このモデルを大幅に素早く変えるなんてことは、災害でもない限り誰も受け入れたがらない。これまで通りの経済活動で排出量が増え続けるのは言ってみれば当然の帰着ということになる。その結果がとても対処できないような大災害ということになるかもしれないけど。

人間の行動や技術革新に対してもう少し楽観的な人なら、起こるかもしれない災害を防ぐための意味のある行動についても意味を見出すかもしれない。こういう人には頑張ってもらいたい。それでも、大変な将来に向けての準備も同時に進めておかなくちゃいけない。ロンドン科学博物館は、気候学者のリーダーのもとで一般の人がこの問題を議論するフォーラムを立ち上げようとしている。こういった努力は絶対に必要だ。僕らは、気候変動による災害のリスクとダメージについてそろそろ議論を始めないといけない。なぜなら、僕らの社会制度や計算能力では、どうやら災害を防ぐことは無理そうだから。

この記事の著者はそれぞれ、ロンドン科学博物館の役員、ケンブリッジにあるイギリス国立数学研究所の議長、そしてUCL(University College London)の気候学教授である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です