2012年11月14日、イスラエルはガザを支配するハマスの軍事部門トップ、アフマド・アル=ジャアバリー氏を暗殺した。何年も継続しているガザからのロケット攻撃に対する対抗措置で、同時に複数の目標を空爆している。当然ながらハマスによる報復攻撃も激化、19日現在、イスラエル国防軍はガザへの地上侵攻の準備が完了し、2009年以来の地上戦がいつ始まってもおかしくない緊迫した状態となっている。
日本のメディアは総じて中東への関心が低いが、戦闘が激化したここ数日はさすがに連日大きな扱いで報じている。あまり触れられない背景について、この機に整理しておきたい。
パレスチナ問題の起源は第一次大戦でのイギリスの三枚舌外交、更には紀元前の古代イスラエル王国にまで遡る。ただし、1993年のオスロ合意を受けて翌94年にパレスチナ自治政府が成立して以降は、パレスチナ側の交渉当事者能力が大きな課題となっている。和平交渉を主導し、アラファトと共にノーベル平和賞を受賞したラビン首相が95年に暗殺されるまで、双方の当事者にも国際社会にも、将来の和平に向けて楽観的な見方が多かった。ラビン暗殺は衝撃的だったが、和平を望む人々を失望させたのはその後のアラファトと彼が率いるファタハである。
ファタハは政権運営で腐敗を断ち切ることができず、支持を失ってハマスなど急進派の台頭を許し、PLO各派をまとめることに失敗した。イスラエル側も交渉相手に実行力がないことに失望し、テロの増加と共に和平への機運は急速に萎むこととなった。
2000年にイスラエル側の挑発(シャロン外相(当時)のアル=アクサ・モスク入場)を契機としたアル=アクサ・インティファーダ(第二次インティファーダ)は、1987年の第一次インティファーダとは明確に異なる。第一次インティファーダは主に投石など非殺傷性の手段による民衆の占領軍に対する抵抗運動だった。アル=アクサ・インティファーダは民間人の殺傷を目的としたテロ攻撃であり、本来同じ言葉で同列に扱うべきものではない。暴力の連鎖を産み、誰も幸せにしないテロ行為を平和的に防止する有効な手段がなく、ファタハ主導の自治政府はテロを止めさせる明確な意思も能力も示せなかった。95年頃にはパレスチナとの共存が可能と考えていたイスラエルのリベラルなユダヤ人の多くが、一向に減らないテロやガザからのカッサム・ロケット攻撃、レバノンのヒズボラによるカチューシャ・ロケット攻撃に疲れ、失望し、対パレスチナ強攻策を主張する右派政党への支持が拡大した。
一方のパレスチナでは、2006年の評議会選挙で欧米諸国の予想に反してハマスが圧勝した。ハマスが政権を握ればパレスチナの生活環境、安全が悪化することは明らかで、パレスチナにとって良いことは何一つないと考えられていたが、人々が選んだのはハマスだった。イスラエル、アメリカはハマスを交渉相手と認めておらず、ファタハのアッパースは今なおパレスチナ自治政府大統領の座にある。しかし、ガザはハマスが武力占拠して実効支配しており、もはや自治政府の統治は及んでいない。
選挙の前年、イスラエルはガザの全域およびヨルダン川西岸の一部の入植地(ギブツ)を解体し、自治政府成立後も駐屯していた軍部隊を一方的に撤退させた。この決定は国際社会からは概ね好意的に捉えられたが、結果的にハマスの躍進とガザからのカチューシャ・ロケット攻撃を防ぐことができず、イスラエル国内では否定的に考える人も少なくない。
軍部隊の撤退以前からイスラエルはテロを防ぐ目的でパレスチナ地区を分離する分離壁を建設しており、人と物資の流れを厳しく制限している。ガザは海岸線、エジプトとの国境も封鎖され、完全に孤立した状態となっているため、生活必需品も欠乏し、病人の搬送もなかなか許可されないなど生活権を侵害され続けている。国際的にもこの分離壁は非難されているが、自爆テロを防ぐ効果は実証されており、テロ未遂の検挙は後を絶たないにも関わらす゛、テロが成功する数は壁の建設以来目に見えて減っている。そのため、イスラエル国内ではパレスチナ人に同情的なリベラル派であっても、分離壁については治安上必要と考える人が多い。
パレスチナでは自爆テロの実行犯は戦闘員ではなく、女性を含む一般市民であることが多い。何が彼らをテロに駆り立てるのかは平和惚けした我々からは想像することしかできないが、彼らが合理的な判断ができる環境で十分に情報と選択肢を与えられた上でテロを志願しているわけではないことは明らかだ。未遂で逮捕された者は、カウンセリングを受けて考えを改める場合も多い。彼らが現世に絶望する状況を創り出している責任の一端がイスラエル政府にあることは間違いないが、一義的に非難されるべきは戦術として一般市民を利用しているハマスのテロ部門だろう。
イスラエル国防軍によるガザへの大規模攻撃は前例がある。2008年の年末から2009年初頭に掛けて行われたキャスト・レッド(Cast Lead)作戦である。カッサム・ロケット攻撃に対する散発的な反撃ではなく、根本的な根絶を狙った点、選挙を控え、「弱気」な姿勢を見せられない時期であった点、アメリカ大統領選挙や就任のタイミングで作戦実行のタイミングが制約された点など、イスラエル側の事情に多くの共通点がある。やはりロケット発射地点への空爆に始まり、軍事施設や政府組織への空爆に拡大した。この時は続いて地上侵攻が行われ、民間人の被害者数が拡大した。
ハマスが戦術として民間人と戦闘員を意図的に混在させ、ロケット攻撃も主に居住地から行っている以上、戦闘になれば民間人の犠牲は避けようがない。一応、攻撃目標が民家の場合直前に電話で警告して即時避難を命じ、発射筒を移動する時間は与えず数分以内に空爆する、といった配慮は行われていたようだが、子供を含む多くの民間人が犠牲になっている。ハマスの側は検問所や分離壁付近のパトロール部隊など近くに軍事目標も存在するにも関わらず、初めから民間人を標的としたカッサム・ロケット攻撃を行っている。
当時、Haaretz紙上で民間人の犠牲を前提とした攻撃の是非に対する論争があった。圧倒的な戦力差から、犠牲者の数は軍人も民間人もパレスチナ側がイスラエル側の数十倍であり、こうした議論もある意味傲慢かもしれない。ただ、少なくともイスラエルにおいてはそうした議論がオープンな場で可能であったという点は注目したい。当たり前に思うかもしれないが、ハマス支配下のガザでは当たり前ではない。ハマスの政策や戦略が必ずしも住民から支持されているわけではないが、公然と批判したり、命令に背いて避難したりするのはガザの住民にとって簡単なことではない。
ハマスは一般民衆への教育、医療、福祉の提供もしており、未だに多くの支持を集めている。一方、イスラエルとの交渉を拒み、民衆の犠牲を前提とした勝ち目のない闘争を続けており、パレスチナに平和をもたらす意思も能力も無い。イスラエルという国家が存続し、ガザをハマスが支配し続ける限り、残念ながら根本的な解決はないだろう。日本ではあまり見かけないが、ガザをハマスが支配しているという状況を終わりのない紛争の根本原因とする見方は欧米メディアでは一般的だ。もっとも、イスラム系メディアでは別の評価だろうが。
今回の紛争では、国境を接するエジプトの環境が大きく変わっている。ムバラク政権時代のエジプトはイスラエルとの軍事衝突を避けることを優先し、パレスチナへの同情から国境の秘密トンネルを使った生活物資の買い出し、密輸などは黙認しつつも、武器や軍事資材は比較的厳しく管理していた。昨年の革命でムバラク政権が崩壊し、ムスリム同胞団出身のムハンマド・ムルシーが大統領に就任した。ハマスは元々ムスリム同胞団の支部として発足しており、関係は強化されている。エジプトは現在も対イスラエル和平路線を維持しているが、ハマスが今年になって長射程のシリア製ファジル5ミサイル等を入手、配備しているのはエジプト国境での武器密輸管理が緩んだためと思われる。
以上、十分な推敲もしていないがざっと思いつくところを整理してみた。私自身はイスラエルともパレスチナとも特に縁はないが、中学生の時に何冊か本を読み込んで長大なレポートを書いて以来、注意してフォローしている。テロやロケット攻撃、あるいは空爆のリスクが日常と隣り合って存在し、戦争になれば家族や知人が普通に召集されたり、生活圏が空爆されたりといった感覚はなかなか想像しにくい。しかし現実にそうした日常を生きている人達がいて、その背景を理解せずに我々の「常識」感覚で批判しても建設的な話はできない。今はインターネットで大抵のことは調べられる。報道などをきっかけに興味を持ったら、表面的な情報だけで理解したつもりにならず、ぜひ掘り下げて調べてみて欲しい。