夢破れて~太郎の中学受験

投稿者: | 2013年1月22日

この春、太郎は中学受験に挑戦し、結果的に夢破れました。受験を意識しだしてから3年間、明確に目標を定めてからでも2年間、色々なことを諦め、小学生が普通に耐えられる程度の何倍もの苦労を積み重ねてきましたが、望む結果を出すことは叶いませんでした。
本人の意思とは言うものの、所詮は小学生なので親の誘導によるところが大きいのは言うまでもありません。しかも、太郎が志望したのは父の母校です。太郎に受験を決意させ、大きな犠牲と多大な努力を強いた責任の多くは父にあります。
受験を意識した当初から、「私立中学」ではなくて当該の学校をピンポイントで考えていて、出願時期の直前まで併願は考えてもいませんでした。難易度の高い学校なので合格が厳しいことは分かっていたのですが、その学校に行けないのなら地元の公立中学でよい、と考えていたのです。父が中学受験をした時も同じようなスタンスだったので、それでよいと安易に考えていたところがあります。進学塾には行かず、通信教育だけだったので専門家に相談することもしていませんでした。
6年生になってからは学校のある日でも毎日4時間以上、週末や夏休みは8時間以上勉強する日が続きました。算数と理科は父が見ていたので、父の帰宅後、夜9時頃から疲れ切った状態で算数の難問に取り組み、容赦のない父に叱り飛ばされて泣かされる日々が続いても、受験を辞めたいとは一度も言いませんでした。覚悟、というよりは、受験勉強を辞めてしまえば自分の拠り所を失ってしまうような気がして、辞めることもできなかったのでしょう。可哀相だとは思いましたが、本人のためになると信じて頑張らせました。
秋の模擬試験で、元々志望校の合格レベルには遠く及んでいなかった成績が更に落ちてしまいました。志望校への憧れは日に日に強まり、気持ちが焦るばかりで効果的な勉強ができず、机に向かっても無為に時間だけが過ぎてしまい、そんな自分への自己嫌悪にも苦しんでいたようです。いくら志が高くても、自分を律して自主的に勉強するにはまだ幼すぎました。
最後の4ヶ月、私たち両親も遅まきながら覚悟を決め、全面的にバックアップすることにしました。毎日細かくスケジュールを立て、勉強机ではなく食卓で勉強させて常時監視し、添削、見直しは全部一緒にやりました。親にとっても大きな負担です。一人っ子でなければ到底不可能だったでしょう。父はそれでも帰宅後だけですが、母の負担はその何倍もあり、ストレスも蓄積していました。
受験の3ヶ月前に偶然通信教育のDVD教材で講師をしている先生が主催する個別指導塾を見つけ、算数を指導してもらうことにしました。そこの先生とは良い信頼関係を築けたようで、冬休みは授業がない日も毎日通って自習していました。
最後の最後でようやく成績が伸び始め、志望校の過去問題で合格ラインを超える点が取れるようになってきたのは受験まで1ヶ月を切った頃でした。それでも当日失敗する可能性はまだまだあり、失敗したら公立中学に行って、また3年間同じ苦労をさせるというのはあまりにも辛すぎます。太郎もそれまではもし中学受験でダメなら高校で再挑戦すると言っていたのですが、塾の先生の勧めもあって併願校を受験することにしました。
とは言え、併願を決めたのは出願時期の直前だったため、その頃には「第一志望に落ちた場合」を口にするのはタブーのようになってしまい、併願校についてはほとんどイメージを持たないまま受験当日を迎えました。
最後の最後で「普段通りの実力を出せれば合格する」というところまで辿り着いたものの、大きなプレッシャーの中で実力を出し切るというのは小学生の子供には簡単なことではありません。太郎は物怖じしないのでどちらかと言えば本番に強いタイプではありますが、3年間思い焦がれ、そのために血の滲むような努力を重ねた志望校へ入学できるかどうかが、たった1度の試験で決まってしまうという、とてつもなく大きなプレッシャーの中で何かにチャレンジするのは初めての経験です。11歳の太郎にとって、その壁はやはり高かったようです。
結局、志望校の他に2校を併願、さらに練習と割り切って2週間ほど早く入試がある遠隔地の学校を「前受け」として受験し、合計4校を受験しました。「前受け」の学校は合格しましたが、元々通えるところではなく、通う可能性があるのは第一志望を含めて3校でした。土曜日の午前に第一志望の学校を受験し、その日の午後に第二志望、更に翌日曜日に第三志望を受験、日曜日のうちに全ての合否が判明するというスケジュールでした。第二志望、第三志望の学校は追加募集があり、全て不合格だった場合は追加出願して月曜日、火曜日も学校を休んで受験することになっていました。
受験の当日、太郎は比較的リラックスしているように見え、手応えもそれなりにあったようでした。2日目の第三志望の受験を終えた後、追加出願のタイムリミットの関係で父が先に第二志望の合格発表を見ておき、その後一緒に第一志望の合格発表を見に行くことになりました。第二志望は無事合格、それを知らせた上で、一緒に第一志望の合格発表に臨みました。
第二志望の学校に比べると合格者が少なく、こぢんまりとした掲示板には太郎の受験番号はありませんでした。掲示板の端から端まで確認した後、振り向いた太郎の顔は、絶望に打ちひしがれていました。
奇しくもこの日は誕生日の前日。11歳最後の日に、太郎は大きな大きな挫折を経験することになりました。不合格者には成績表が渡されましたが、太郎の成績は合格点に遠く及ばず、直近の過去問題よりも大きく点を落としていました。
結局、第一志望以外は全て合格、第三志望の学校に至っては入学金と1年間の授業料免除という特待生としての合格で、十分に満足すべき結果でした。でも、太郎にとっては第一志望以外は眼中になく、模試の会場として知っていた第三志望はともかく、第二志望の学校など受験当日に初めて見る有様で、あくまでも結果は「失敗」だったのです。大きな目標に果敢に挑み、努力に努力を重ね、力一杯ぶつかり、そして砕け散ったのです。
たった11歳の子供にこれほどの苦労と挫折を強いることが正しいことだったかどうかは分かりません。でも、太郎はこの2日間で驚くほど成長しました。大人への階段を、いくつも上ったようです。この悔しさを糧に、今後の長い人生を強く生きて欲しい、心からそう願わずにおれません。
なお、4月から太郎は第二志望だった学校に通うことになります。親(の財布)にとっては第三志望の特待生も非常に魅力的でしたが、より高いレベルの教育が受けられそうな第二志望の学校を選びました。カトリックの男子校です。何年かして色気づいた時に、男子校を選んだことを後悔するのかもしれません。父もそうでした。ただ、小学校高学年から高校生くらいまでの女子は男子とは成長の度合いが違うので、太郎みたいにぼーっとした男子にとっては少し距離を取った方が楽だとは思います。いいじゃないか、どうせモテないんだし。

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