原文:http://www.economist.com/news/leaders/21583702-generals-killing-spree-reckless-denial-lessons-arab-spring-battle
アラブの春から学ぼうとしない軍による殺戮
ムスリム同胞団の政府を軍がクーデターで乗っ取り、多くの人が歓喜で応じてからたった1ヶ月半、エジプトは再び暴力の世界に陥っている。8月14日、ヘリコプターとブルドーザーを援護に付けて武装警察がカイロ市内のモスクや大学に陣取る数千人の同胞団支持者に襲いかかった。数百名が死亡、3千名近い負傷者を出し、暴力はアレクサンドリアやスエズなど他の都市にも拡大した。怒りに燃えるイスラム教徒によって、多くの教会が燃やされた。政府は複数の都市で夜間外出禁止令を出し、全土で非常事態宣言を発令した。非常事態宣言が出されたのは1981年にアンワル・サーダートが暗殺され、ホスニー・ムバラクが大統領の座についたとき以来だ。この時は、非常事態宣言は30年間続いた。
政府は今週、「最大限に自制」したと主張したが、自国民に対して軍事力の行使を解き放つという選択は残酷で、そして無謀だ。歓迎されたクーデターの最終章を飾るのとは程遠く、この殺戮は国内の対立を引き起こし、国を内戦状態へ導きかねない危険なものだ。最悪の場合、アルジェリアの悪夢が再現する。アルジェリアでは1991年の第1回選挙でイスラム教政党が勝利を収めた後、彼らが政権の座に着くことを陸軍が拒み続け、その後10年間続いた殺戮で実に20万人が殺されたのだ。
幸い、エジプトはまだその悲劇がすぐそこまで迫っているわけではない。とは言え、8,500万人の国民はエジプトが1953年に共和制となって以来、かつて無いほど深く分断されている。問題は、ムスリム同胞団への対処として抑圧が正しい方法なのか、それとも単に騒乱を加速するだけなのかということだ。
ナイルの死
ムスリム同胞団は選挙によって権力を分譲したり、手放したりするつもりなどなかったという見方もある。ムハマンド・ムルシーの大統領としての行動が最悪だったのは疑いない。彼は有効票の1/4を得て当選するなり、あらゆる民主的な基準を侮辱し始めた。彼の政府は憲法制定委員会をイスラム教徒で独占し、選挙その他に関する法律を必要な承認なしに性急に決めてしまった。イスラム教少数派や8百万人余りのキリスト教徒に対する宗派対立や憎悪が増加するのを放置し、確認もしなかった。これらの失政と、経済の監督者としての完全な無能力により、一般のエジプト人の間でムルシー氏の名声は地に墜ちた。彼の大統領としての正当性を問う国民投票への嘆願書には、2千万人以上 -成人人口の半数- が署名したと言われる。
7月3日に強制排除、拘束されて以来、彼と同胞団の大勢は一切の譲歩を否定し、大統領としての再就任を要求している。複雑な政権運営の現実に比べ、野党でいることのいかに気楽なことか。犠牲者でいること、殉教でさえもが、政策立案よりも強力な政治力となっていたのだ。
しかし、だからといって軍首脳が免責されるわけではない。クーデターについても、今回の流血についても。クーデターは道義的に正しくないだけでなく、戦術的にも誤りだ。選挙をすれば、同胞団はたやすく敗れただろう。もし同胞団が選挙自体を拒否すれば、国民が立ち上がったはずだ。軍隊が実力行使に出てしまったのは破滅的な誤りだ。7月8日に軍が多くの市民に対して発砲したとき、西側のやる気のない反応から間違った教訓を引き出してしまったのだ。西側は干渉しない、と。実際には、軍の暴力は結果的にエジプト国内の雑多なイスラム各派が統合するのに手を貸している。いくつかの派閥は以前には世俗派のエジプト人と同じくらい同胞団に反発していたにも関わらず、だ。イスラム同胞団の無能力と権力の不正行使は、今や別の不正義と苦しみの下に覆い隠されてしまった。
軍首脳たちの最悪の間違いは、アラブの春の最重要の教訓を無視したことだ。この教訓とは、人々は尊厳を求めているということだ。小役人が威張り散らしたり、腐敗した専制君主が支配するのを心底嫌っているということだ。警察国家は拒否される。人々が求めるのは、より良い生活、まともな仕事、そして基本的な自由なのだ。エジプトのイスラム教主義者は、減少しつつあるとはいえ人口の30%くらいを占めている。軍の将軍たちは、他の何百万人ものエジプト人から自由を奪うことなく、イスラム教主義者だけを弾圧することはできないのだ。人々が切望する自由、そしてムバラク氏の追放後僅かな期間とは言え味わった自由を。これからは、アルカイダに同情的なエジプト内外のジハード主義者の説教を熱心に聴く人が増え、新たに急進化した新兵の募集もやりやすくなるだろう。同様に、更なる弾圧が検討される中、イスラム教主義者の挑戦は軍隊の内部でも強化されるだろう。
兵舎に戻れ
もし軍首脳がエジプトの安定と、一般エジプト人の信頼を望むのであれば、この瀬戸際から引き返さなければならない。軍隊による扱いを受けた今となっては、同胞団が再び政治の茶番に付き合うことは考えにくい。しかし、実権を握るアブドルファッターフ・アッ=シーシー将軍とアドリー・マンスール暫定大統領は機能する経済と包括的な政策の環境を整えることはできる。そのためには、議会選挙と大統領選挙の工程表を作らなければならない。憲法の修正を委託する委員会は拡大し、イスラム教主義者を参加させなければならない。そしてもし同胞団が参加を拒めば、別のイスラム教主義政党に対して政治に参加し、(今すぐ出なくても、段階的に)役割を果たすことを求めなければならない。
国際社会も行動を起こす必要がある。本誌は西側の政治指導者に対して、7月の発砲への対応不足は深刻な事態を招くと警告してきた。これはその通りになってしまった。世界は、今また同じ過ちを繰り返してはならない。アメリカは9月に予定されている合同軍事演習を取りやめるべきだし、次回の軍事援助(今年度分は既に予算執行されている)は文民政権が選出され、政権の座に着くまでは保留すべきだ。サウジアラビアや他の湾岸諸国は、同胞団に対する憎しみを共有しているというだけの理由で軍首脳に白紙の小切手を渡してはならない。
エジプトの再発明が簡単だとは誰も思っていない。エジプトはまだ適切な民主主義を経験していない。大衆の識字率も低い。国民の大半が貧困状態だ。そしてイスラム教といかに調和すべきかという問題は、非常に困難であることがあらゆる場面で明らかになっている。しかし、軍首脳は立ち止まって考えてみるべきだ。現代史において、このように巨大な障害が、暴力によって解決されたことなど一度も無いことを。