「技術」の使い道

投稿者: | 2013年10月31日

少しイヤな話をする。残酷な話が嫌いな人は読み飛ばして欲しい。アフリカなど、世間の関心が届きにくい地域での紛争やその社会的影響について、個人的に経験、あるいは勉強した範囲で書き留めておきたい。

私はエンジニアとしてのキャリアを土木技術者としてスタートした。土木工学は英語でcivil engineeringと言う。日本語の語感と結びつきにくいが、元々は軍事工学に対して民生の工学、ということらしい。なお、軍隊でcorps of engineersといえば工兵隊のことだ。土木に限らず、一般にエンジニアはその専門技術によって社会をより良くすることを理念とし、技術者倫理に基づいて行動する事を求められる。軍事工学にしても究極の目的は社会の安全を守ることだが、個々の技術の直接的な目的は効率的な殺戮や破壊であり、倫理との兼ね合いは難しいと思う。技術者だけでなく、その技術を直接使う人、つまり軍人についても民間とは異なる倫理観が求められるのだろう。非正規戦や地域紛争ではしばしば倫理が置き去りにされる。戦争という極限状態、特に強大な敵に抵抗を試みる非正規戦で、人間が如何に醜くなれるのか、知っておくのも大切だと思う。

第二次世界大戦後、アジアの植民地は比較的早く独立を果たしたが、アフリカ大陸では多くの植民地が温存された。サハラ砂漠以南の国々の独立ラッシュは1960年代にやってきた。時は冷戦のまっただ中であり、そのまま安定した国は多くはない。多くの国で、独立から間を置かずに内戦が勃発している。ちなみに、内戦は英語でcivil warだ。職業軍人ではない市民同士が闘う戦争というニュアンスか。civilという単語は意味の幅が広い。大文字でCivil Warだとアメリカの南北戦争を指すことが多い。
サブサハラの内戦はほとんどがイデオロギー対立の代理戦争となり、貧しい地域にも関わらず潤沢に武器弾薬が供給された。なお、単純な米国対ソ連の図式ではなく、様々な国が絡み、その影響は現在も色々なところに残っている。
モザンビークではソ連だけでなく東ドイツが積極的に支援し、留学生の受け入れ等も行っていたため、知識層の中にはドイツ語を話せる人が多い。アンゴラはキューバが支援していた関係で、アフリカでは珍しく野球の人気が高い。代理戦争が絡む途上国の内戦は、腐敗した独裁政権と、その影響力を削ぐため地方の農民を攻撃する反政府ゲリラの戦いという図式が多く、善悪の基準で判断することはできない。反政府ゲリラは政権の無力を演出するため、貧しい農村に執拗に攻撃を仕掛ける。一方政府軍も、ゲリラに協力した、あるいは協力を拒まなかった農村を見せしめのため焼き払ったり、残虐さにおいてはどちらがマシ、というものでもない。犠牲になるのは、いつも一番弱い立場の人々だ。

現在の世界で、大量に人を殺しているのは大量破壊兵器ではなく、最新鋭のステルス戦闘機やイージス艦でもない。大多数の犠牲者は、質の悪い自動小銃や対人地雷などの対人兵器で殺されている。特に地雷は、戦闘が終わった後も長期間人を殺し続ける。人々に恐怖を与え、社会基盤を破壊し、それによって政府の弱体化を印象づけるという戦略において、対人地雷ほどコストパフォーマンスに優れた兵器は少ない。そのため、世界中のあらゆる反政府ゲリラに好んで用いられている。対人地雷の技術的な「進化」の過程を見れば、人間が技術という叡智を歪んだ方向に発揮するとき、どれほど残虐になれるのかを思い知らされて戦慄を禁じ得ない。具体的な技術を紹介するのは控えるが、日々そうした開発に勤しむ技術者がどこかにいるのである。
対人地雷の残忍性が有名になったカンボジアでは、それでも世界から支援が集まり、地雷の撤去が進んでいる。相対的に注目度の低いアフリカでは、内戦の終結から10年以上経っても地雷の撤去がほとんど行われていない地域も多い。
農村地域でのゲリラ戦では住民の拉致もよく行われる。カンボジアのクメール・ルージュのような組織的なもの以外にも、戦闘員の補充目的で少年を拉致するのはアフリカ各地の内戦でも一般的だ。強姦目的の女性、少女の拉致もあるとは思うが、あまり聞かない。反政府ゲリラは少年兵を多用することが多いが、拉致だけでなく、政府の無力に嫌気がさして(つまりゲリラの作戦が奏功して)自ら反政府運動に身を投じる少年も多い。内戦が数十年も継続している国だとまともな産業もなく、農民か兵士以外に職業の選択肢がない場合も多い。

政情の安定した国でも産業基盤やサプライチェーンの喪失は大きな問題となるが、内戦状態が長く続くとありとあらゆるサプライチェーンが崩壊し、凡そ経済がまともに回らなくなる。産業だけでなく、その基となる教育インフラが失われることの影響も大きい。「明日への希望」が失われた社会というのは厳しい。アフリカはAIDSの蔓延も深刻だが、1年後に生きている自分を想像できない人たちに、数年後に発症するかもしれないAIDSの予防に気を付けて下さい、と説いて回るのは空しいものだ。それでも誰かがやらなければならない。

私がモザンビークで働いていた時期は内戦の終結から5年が経ち、傷跡は随所に残るものの人々は希望を取り戻していた。彼らが外国からの援助に頼らず、自立と誇りを取り戻すにはまだまだ時間が掛かるとは思うが、その中のほんの小さな一部を手伝えたことを誇りに思う。
産業革命以降、植民地からの資源搾取の上に発展した西欧の文明。その延長線上に、現在我々が享受している豊かな生活がある。日本は一歩間違えば搾取される側になったところを幸運にも助けられ、上手く立ち回って列強の一角を占めるに至った。帝国主義で出遅れたため直接の植民地開発は限定的だったが、直接手を下していないからといって途上国の現状を放置することは許されないはずだ。よほど注意していない限りニュース等でも目にする機会はほとんどないが、たまには理不尽な現状に苦しむ人たちにも思いを馳せたい。

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