たまには科学っぽいネタも書いておかねば。
最初に断っておくが、タイトルは高名な物理学者のErwin Schrödingerがアホだといっているのではもちろんない。有名な思考実験の「シュレディンガーの猫」をもじっただけで、他意はない。
さて、シュレディンガーの猫。聞いたことのある人は多いと思うが、物理学専攻とかじゃない普通の人でその内容を知っている人はそんなに多くないんじゃないだろうか。いや、私が知らなかっただけかもしれないが。学生時代を含め、何度か理解しようと試みたことはあるけど、なんとなく分かった気になれたのは最近になってからだ。ついでに、アインシュタインの特殊相対性理論も学生の間は結局理解できなかった。教養の物理2は3回くらい履修したけど結局単位を取れずじまいだった。なお、2年以上履修して単位を取れないというのはあまり聞いたことがない。バカで悪かったな。専門課程の構造力学や土質力学も3年くらい履修したな。なぜそんなに何年も履修できるのかって?留年したからに決まってるじゃないか。アホですいません。在学中に大学の組織改編があったりして、教養科目が全学共通科目になったり、卒業必要単位数が少なくなる代わりに単位が取りにくくなったり、それでも留年組は入学時の必要単位数が要求されたり、アホはアホなりに苦労も多いのだ。
いやだからそんなことはどうでも良くて、シュレディンガーの猫の話だった。私が理解している範囲でごく大雑把に言えば、箱の中に猫と、ある確率変数で猫を殺す装置を入れて蓋を閉じた時、蓋を開ければ猫が生きているか死んでいるか確定するけど、開けるまではどっちか分からなくて、生きている状態の猫と死んでいる状態の猫がある割合で同時に存在している、というものだ。何だよ、訳が分からないと感じた方は私も同じだったので心配しないで欲しい。いや心配か。とにかく、何で猫なんだとか、猫を殺す必要性なんてのは割とどうでも良くて、ある有名な物理実験で確かめられている事実に対する一般的な解釈を適用するとこんなに訳が分からないことになりますよ、というのを示す思考実験なので、訳が分からなくて当然なのだ。
有名な物理実験というのは二重スリット実験というもので、この実験では同じ「モノ」が粒子としても波としても観測される。観測される事実は覆しようがないので、どう考えたらその事実が説明できるか、色んな人が一生懸命考えた末に現在多くの科学者が受け容れている考え方が、コペンハーゲン解釈と呼ばれるものだ。
これは、二重スリット実験でスリットを通過して打ち出された「何か」はスクリーンに投影されて観測された時点では粒子だが、その直前までは色々な「状態」が濃淡を持って分布している波の性質を持っているという考えだ。バカみたいだけど、そう考えると実験で確かめた事実が説明できる。そして今のところ、他にもっとマシな解釈は誰も考えついていないのだ。シュレディンガーは、「お前らコペンハーゲン解釈に納得してるけど、じゃあこの箱の中には生きてる猫と死んでる猫が同時に存在してるってことかよ?おかしいだろ、普通に考えて」ということを示したのだ。もちろん、シュレディンガー自身もコペンハーゲン解釈よりマシな解釈は思い付いていない。
さて、ここまでがシュレディンガーの猫の話で、ここからがアホの太郎の話になる。中学生になってもアホは相変わらずで、今朝だって腕時計を忘れていたし、こないだは制鞄を持たずに学校に行こうとした。叱られたときの屁理屈だけは捏ねるようになったけど、言うことは無茶苦茶だし、あまりにアホ過ぎて悲しくなる。
それでも、やはりそれなりに成長もしていて、ごくたまには頑張れることもあって、結果もたまには出している。
思うに、大部分のアホな部分があるからこそ一部の頑張れる部分も存在できるのであって、アホじゃない太郎は既に太郎ではない。バランスを保つためには、アホな部分も必要なのかもしれない。
宿題もせずにヘラヘラ猫と遊んでいる太郎の中には、ダメダメのアホ状態とちょっとは頑張る賢い状態が同時に存在していて、どちらが顕在化するかは提出物や小テストの結果を確認するまでは分からず、確率的に分布している。
そう考えると、アホにも少しは寛容になれるのではないだろうか。なれないな。