最近実家に行った時にエコキャップの話題が出て、ちょっと気になったので調べてみました。
エコキャップってのは、ペットボトルのキャップを集めてリサイクルして、その利益でもってワクチンを買って発展途上国の子供に送ろう、とか何とかそんな感じの運動です。そこそこ普及しているようで、検索してみると色々出てきますが、大多数が好意的に紹介しています。ま、手軽にできてちょっと良いことをした気になれるというのが人気の秘訣でしょうか。昨今のエコブームにも上手く乗っているのでしょう。何にしろ純粋な善意でやっていることにケチを付けるのは野暮ったいのですが、たろ父はひねくれ者なので気になり出すと検証しないと気が済みません。
結論から言っちゃうと、エコキャップ運動はエコロジーあるいは慈善事業としては無駄だと思います。何かしら良いことをしよう、という社会的な意義はあると思いますが、善意も時として「大きなお世話」になることもあり、せっかく何かするのなら「あー良いことをした」で終わるのでなく、その成果まで意識するようにするといいかもしれません。
エコっていうのはなかなか抽象的で単純化し難い問題ですが、地球に優しくという意味ならば、最終的なエネルギー消費をなるべく抑えるように持って行けばまず間違いません。エネルギーを使うのにはお金がかかるので、なるべくコストを抑える、というのも大体は同じ方向性になります。要するに省エネ、節約。これを心がけるのが地球環境に優しいと言ってよいでしょう。で、エコキャップ運動ですが、回収したキャップを再資源化して何に利用しているのかは調べられませんでした。再生ベニヤにしているという間接情報は見つけましたが、運動を推奨しているサイトでは言及が無く、皆さんあまり気にしていないようです。個人的には、「エコ」を名乗るの以上そこは気にするべきだと思います。とは言え、1kgあたり10円だか15円だかで引き取ってもらっているそうなので何らかの使い道はあるのでしょう。この値段は色々なサイトで言及されていましたが、誰も数字の意味を考えないのでしょうか。業者への輸送費にすら満たない額なのに。つまり、コスト的には完全に破綻しています。さらにこれは、CO2排出にしてもエネルギー消費にしても、「やらない方がマシ」であることを意味します。
各団体や個人が集めたキャップを送る輸送費は自己負担なのでしょうが、キャップは一般ゴミに出して送料分のお金を寄付する方が地球に優しく、より多くの子供達にワクチンを届けることができるというのが現実です。蛇足ですが、金属や紙のようにリサイクルして元とほぼ同じ材料に出来るものもありますが、プラスチック類は大抵同じ材料には戻せません。エコロジーはまずリデュース、リユースを目指すべきであり、リサイクルは言わば最後の手段です。
以前、缶飲料のプルタブを集めて車椅子を寄付する、という運動もありました。いや、今でもあるようです。元々、当時は分離式だったプルタブが捨てられて美観を損ねたり危険だったりしたのをどうにかしようとしたもので、集めたプルタブの処理は副次的なものだったはずです。それが、プルタブ回収で車椅子というキャッチーなコピーが一人歩きして、今やステイオンが当たり前のプルタブをわざわざ引きちぎって回収している善意の個人や団体が未だにたくさんいるようです。プルタブが分離式だった時代を知っていればすぐにおかしいと気付きそうなものですが、若い世代間で意味をはき違えたまま続いてしまっているのでしょうか。
レジ袋を削減するために買い物袋を持参する「エコバッグ」についてもその意義を疑問視する声はありますが、これについては確かに直接的な効果はほぼゼロにしても、少なくともゴミの減量には繋がるのでマイナスではないし、意識することの意義が大きいと思っているのでたろ父も通勤鞄の中に折りたたみのエコバッグを常備しています。先に挙げたエコキャップやプルタブは社会的な意義はかろうじて認めるにしても、実際の効果が間違いなくマイナスなので野暮でも批判せざるを得ません。
何でもそうですが、「良い」「悪い」の二元論だけでは正しい判断はできません。どの程度「良い」のか「悪い」のか、その「程度」を意識するのが大切なんです。難しく言えば「定量化」ですね。エンジニアリングの世界では定量的でない議論、つまり定性的な議論は評価対象にすらなりませんが、会計でも経営でも政策でも、そして日常生活でもそれは同じだと思うんですが。