昨日で、あの原子力発電所の事故からちょうど20年だという。昨日は、私の33歳の誕生日だ。あの事故は、私が13歳になった誕生日に起こったわけだ。実は、事故の起こった日と自分の誕生日が同じだという事に昨日初めて気が付いた。ちょっとショックだ。その、気付かなかったことが。
13歳といえば中学生。もちろん事故のことは覚えている。ただ、その頃は誕生日に何かをするという習慣がなく、自分の誕生日が4月の何日なのかさえはっきり覚えていなかった。更に言えば事故が伝わったのは日本時間で早くとも27日、実体が明らかになってきたのは5月に入ってからだろう。この年に、事故が起こったのが自分の誕生日だったと気付かなくてもまぁ無理はない。
普通は、翌年や2年後にニュースや特別番組なんかで振り返っているのを見て気付きそうなものだ。ところが、当時は4月26日という日付を聞いてもそれを自分の誕生日と認識することができなかったのだと思う。自分だけでなく、家族全員が。誕生日を祝う習慣がないというのは、そういうことなのだ。
大学生になって、色々アルバイトをするようになると生年月日を書いたりする機会も多くなり、流石に自分の誕生日を忘れることは少なくなった。ただ、その頃にはもう毎年大々的にチェルノブイリの事故を振り返るということもなくなっていたのだろう。
10年前はどうだったのだろう。今回みたいに、特集番組が組まれたり新聞の社説で書かれたりしてなかったのだろうか。何故か全く記憶にない。あ、そうか。10年前の誕生日はテレビも新聞もないところにいたのだ。モザンビークの片田舎。日本語はもちろん英語のメディアも存在せず、首都マプートで発行されるポルトガル語の新聞ですら1週間遅れでしか読めない村。無理もないか。