屁理屈

投稿者: | 2008年7月24日

今朝、岩手の方で割りと大きな地震があったようです。家屋が倒壊したり怪我をした人がいたりしたようですが、亡くなった人はいないようでよかったです。地震の規模を表すものとして、マグニチュードと震度が一般的に用いられ、報道でもよく目にします。一応、地震のエネルギーを表すのがマグニチュードで揺れの大きさが震度、と理解されていると思います。もちろんその通りなのですが、他の自然現象や物理現象に比べると算定の方法が複雑で、時代と共に同じ名前のまま変わってきたり、国や地域によって違ったりしているので直感的に捉えにくい単位です。マグニチュードは元々震央から距離100kmのところに換算した最大振幅の常用対数をとったもので、振幅が10倍になるごとにマグニチュードが1上がることになります。これだと概ね8程度で頭打ちになるため、色々な補正式が考えられて地震学ではモーメント・マグニチュードというのを使うそうです。日本の気象庁が使っているのは更に変位やら振幅で補正した値です。一方の震度ですが、これは揺れの程度を表すものなのですが何らかの物理量ではなく、被害の程度から人が判断する指数です。日本では0~7(5と6はそれぞれ強と弱がある)の10段階であらわします。尚、現在日本の気象庁は人の判断ではなく機械の測定値で震度を決めているそうですが、定義はあくまで被害(体感)程度です。
朝食を食べながらそんな話をしていたところ、太郎が「じゃあ、しんど8ってどんなん?」とか言い出して、たろ母が怒ってしまいました。こういう、あり得ない話を一生懸命考えたり、話したりするのは嫌いな人には我慢できないくらい嫌なものらしく、すぐに思考や想像が暴走してしまう太郎はよく叱られて泣いています。たろ父は自分自身もそういう思考実験というか、屁理屈が好きなので(たろ母にもよく叱られる)太郎の屁理屈には寛容です。どうでもいいことに疑問を持って、色々考えてみるというのは子供、特にオトコノコであれば誰しもすることだと思うし、大人になってもそういう人はいっぱいいます。むしろ、技術職や研究職なんかではそういう感覚がないとできない仕事もよくあって、そういう職業の人にオタクっぽい人が多いのは偶然ではないような気がします。原子力発電で行われる確率論的安全性評価、なんてのは正に「ありえない」事象のリスクを定量的に評価して積み上げる作業で、「んなこたぁ起こるわけない」と常識的に切り捨ててしまっては絶対にできない作業です。
気象庁震度階級に定義されていない「震度8」を論じることに何ら生産的な意義はありません。だけど、「もっとスゴイことになったらどうなるんだろう?」という疑問はオトコノコの思考回路としては自然な成り行きだと思うし、イノベーションというものは得てして無駄で無意味な発想から生まれるものだし、別に悪いことはないんじゃないか、と思うわけです。これも屁理屈ですけどね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です